2018年5月23日水曜日

森茉莉『記憶の絵』

全部ほんとうであり、全部ほんものであるが故に、森茉莉は素晴らしいし、物凄いし、恐ろしい。あの濃さも。あの甘さも。あの美しさも。あの妖しさも。あの深さも。あの可笑しさも。あの狡さも。あの苦さも。あの暗さも。あの熱っぽさも。あの冷たさも。あの淡さも。あの棘も。あの鋭さも。あの重たさも。あの厚さも。あの濁りも。あの不透明さも。あの曇りも。あの陰影も。全部が全部、ほんとうであり、ほんものであるが故に。
森茉莉の世界に、蠱惑的でないものなどない。森茉莉が書くものの中に、蠱惑的でないものなどない。恐らくはもう、何度も読んでいる。何度も味わっている。何度も何度も、同じ言葉で、或いは僅かに違う、けれどみな等しく魔を含み、甘やかな毒を秘する言葉を以って、繰り返し語られ続けるそれらを。自分はもう、幾度となく、楽しんでいる。
何度読んでも、楽しむ事が出来るそれら。何度味わっても、飽きる事なく美味と感じ、ご馳走であるそれら。読むほどに濃さを増し、深みを増し、色彩を増し、満ちて溢れ、滲み出し、不明瞭さを増し、妖しくかすみ、妖しくぼやけ、濃艶な魅惑と化して行くそれら。飽きる事なく、幾度となく堪能する。幾度となく反芻する。

森茉莉の世界に、蠱惑的でないものなどない。森茉莉が書くものの中に、蠱惑的でないものなどない。徹底して。蠱惑的であるものしか、存在していない。その凄さ。厚く濃い、靄。何一つ、余計な事をしたくない。自分は森茉莉の世界を、ただ楽しんでいたい。ただ享受していたい。


記憶の絵 (ちくま文庫)
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