〈性器に執着しないということは、官能性は人の体のそこかしこに偏在とすると認識することである。〉、日常的で基本的な快感、日常的な皮膚の快感、皮膚の官能性、非性器的な快楽、性器的ではない官能的なときめき…こう書き出しただけでなごむなごむ。松浦理英子の言うそれは、男根中心主義的な欲望とは異なる、性器中心主義的性愛観に基づくそれとは異なる、もっと自由で、もっと強烈で、もっと豊かで、息苦しくなくて、気持ちのいいものなのだ。
とても癒される松浦理英子の言葉。とても刺激的で扇情的で、目からウロコな松浦理英子の言葉。松浦理英子の言葉がよく効くと言う事は、私もまたそう言った思いを持っているのだと言う事であって。松浦理英子の言葉によって慰撫され、煽られる事で、私は私を自覚する。