2022年8月14日日曜日

澁澤龍彦『高丘親王航海記』

自分はこの本を、この小説を、愛しているのだ、と思う。偏愛することの密やかさと親密さを以ってしか、自分はこの快楽について語ることが出来そうにない。みこを愛する。みこたちを愛する。彼等と共に夢幻に遊ぶことを愛する。ただそれだけを行う。ただ身を委ねて遊ぶだけの。 微睡みの内にて見、微睡みの内にて聞く。その心地よさと曖昧さの中で。明瞭さを以ってではなく、眠り行く前の緩やかな鷹揚さを以って、快楽にのみ貪欲な肉体の無防備さと繊細さを以って、夢幻に遊ぶこと。何かをそれと判別するよりも先に、目が、耳が、或いは身体そのものが、納得し、確信してしまう。美も、あの輝きも、妖しさも、残忍さも、喜びも。快楽として、魅惑として、なだれ込んで来てしまう。あらゆる無粋さから免れているように思う。時間などは当然に、超えて行くだろう。そのようなものに影響されるような、傷付けられてしまうような、容易さとは最も縁遠い小説だろう。
 何なのだろうか、この透明感は。何もかもが透き通っていて、綺麗なのだ。清浄で、軽やかで、綺麗なのだ。多くを飲み込んだ後の、透明さであり、綺麗さ。夢幻を語る言葉そのものが呼び水となって、更なる夢幻を誘い、辿り着かせない。何もかもを超えさせてしまう。夢幻から夢幻へ。拒むことなく、彷徨い込むこと。夢の時間の軽やかさのまま、飛翔して行くこと。ただ身を委ねるようにして愛することのほか、この小説に関しては他に何も出来そうにない。