2021年5月26日水曜日

笙野頼子『幽界森娘異聞』

活字の怪、活字の森の中。森茉莉ではなく森娘。評伝ではない、これは小説。めちゃ面白い、笙野頼子の小説の中でも相当にスリリングで面白い。特にⅥ以降!!初めはただ翻弄されるように、やがて『甘い蜜の部屋』の森娘譚、対比と収集と検証で興奮、そしてⅥからが凄い、Ⅵから凄い笙野頼子!笙野頼子大爆発、と言った感。こちらのテンション爆上がり。この辺りから笙野頼子の文章が勝り出す気がする。まさに超えて行く、突き抜けて行く瞬間を目撃したような気がする。引用し、引用し、的確で効果抜群の怒涛のツッコミ的ディテール重ね、森娘文章の再現不可能性や唯一無二性を証明するようにして、更にもっと、大きな問題と言うか、主題の方へと発展させて行く感じ、そこから森娘さえ超えて行く感じ、大変高ぶる。これは笙野頼子の小説なのだ。初めは森茉莉の文章を読みたいと思った。引用される文章、鮮やかに浮かび上がる森娘の姿、その符合、エッセンス、その凄さ偉さ強さに逐一喜んでいた。森娘は勿論ずっと魅惑的なまま、けれど自分は今、笙野頼子の方を向いている。これが笙野頼子の小説である事の当然さ、それは当然の事なのだけれども、その当然さを明瞭に思い知らされて、自分は今、興奮している。

凄い森娘、強い森娘、奇蹟めいている、ゆえに誤読される森娘、理解されぬ森娘、変に分類されてしまう森娘、或いは森娘本人の矛盾と錯綜と弱み。異聞、異聞。符合しつつ、重なりつつ。愛してはいつつ。けれど最後は相違、決定的な違いが浮き彫りにする。対比からの、更に発展。恐らくは対象が森娘だったからこそ、なし得たそれ。いやはやとんでもなかった。まったくもって括り得ないし、一所の主義主張に当然とどまっていないし、大局、常に超えている笙野頼子。超えて行く笙野頼子。佐藤亜紀の解説がまた最高であった。解説込みで最高であった。