2022年10月15日土曜日

『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』

その短く、欠片のようであり、それだけですべてであるかのような小説は、例えば嘆きから、喜びから、戸惑いや逡巡や憂いから書き始められる。そこかしこに繁茂し氾濫する事物と言葉と言説、理知的で常識的で浅薄で狭小で、煩わしくて輝かしくて複雑な、喧騒や賑やかさの内に充満するおびただしい事物と言葉と言説から。或いは無言から。緊密さから、堅牢さから。ときには不確かさから。色彩と煌めきと、光線から。いずれにせよすべては見ることから始まるのだ。近景と遠景。クローズアップ、近寄ること、目を逸らさないこと、滲み出すほどに、ゆがみ出すほどに、絶えず見続けることから。遠景からの近景。近景からの遠景。現出するイメージ、夢想めいた光景の美と不穏さと心地よさ。いずれにせよ見ることから書き始められるのであるし、すべては見ることの中から現れ出すのだ。それも絶えず見続けること。引き延ばすようにして、一瞬を無際限に捉え続けるようにして。流れ続けるもの、奔流であるもの。歩行の速度であるもの。停滞するもの。行き交うもの。決して交わらぬもの。素通りして行くもの。それぞれ無関係に存在して、それぞれがそれだけですべてであるもの。書かれた言葉はほかのなにものにもならない。奉仕しない。寄与しない。何かを背負わされることなくただそれのみで十全に強靭である言葉と小説。 
ヴァージニア・ウルフの短篇小説はそのまま、ヴァージニア・ウルフにとって書くということが如何なるものであるかを示す、いわば書くという行為そのものであるように感じられる。