2022年10月16日日曜日

大岡昇平『作家と作品の間』

漱石の「趣味の遺伝」「こころ」「行人」についてなど。〈筆がしぶる〉箇所、〈そう書かせない禁忌が働くこと〉、何によって書くことは中断されるのか、筆のしぶり、書けなさと言うもの、書きしぶる作者の手と筆へと接近する瞬間が特にスリリングである。書きしぶる手を見ることは、作家を書くことへと向かわせる動力と摩擦、すなわち書くことの深部を垣間見ることでもあるように思える。〈要するにこういうぞっとするような細部の連続として『こころ』はあるんでして…〉論理的な構成や思想の正否を論ずるものではない言葉の存在感というもの…。 
或いは自著について。自己解剖すること。如何にして書いたか。書くことを語ることはそのまま、読むことを語ること、夥しい読書体験と、読むことを含む、見聞きしたさまざまな光景や情報や言葉の混ざり合う、自らの記憶を語ることだ。如何にして魅惑されて来たか。魅惑されるよりも以前の、もっと原初的な体験を語ること。自らの内に埋もれているものを今一度探り出すこと。子ども時分から〈読むというよりは食うぐらいの早さでこなした〉たくさんの本や、週刊誌や新聞の記事が、自らの内で、どのような残り方をしていてどのような連想を引き出すのかを、その明瞭さと不明瞭さごと語ることだ。そしてそれらは絶えず増え続けるものでもあって。書くことを語る言葉もまた新しく、絶えず豊かに深まり続けるものであることを思い知らされ、圧倒される。

 金井美恵子が大岡昇平の文章から学んだことの多さ、学ぶべきことの重要さについて書いていたことを、実感しつつ思い出す。『重箱のすみ』にて〈その「絶えざる現在を生きること」で、それこそ重箱の隅を決して見落とすことなく批評として書きつづけた大岡昇平への感嘆〉を語っていたこと…。