2019年7月21日日曜日

村田喜代子『屋根屋』

何とも不可思議で、楽しくて、忘れ難くて、困難で、鮮やかな夢の旅。準備をし、手順を守り、無事に夢の中にて落ち合う事が出来れば。自在に、どこまでも。あくまでも夢の中、現実の不安定さに、不安に左右され、自在さを保ち続ける事は、決して容易な事ではないけれど。それでも、行く。最良の相棒と共に、どこまでも。
彼等は屋根を見に行く。その姿を、その形を、その佇まいを、その作りを見に行く。その細かさを、その丈夫さを、その静かさを、その差異を。その複雑さを、その繊細さを、その強靭さを、その逞しさを見に行く。記憶を持ち合い、夢で落ち合い。彼等はその凄さを、その深遠さを目の当たりにする。その執着を、その情念を思い知る。その街並みを、その暮らしぶりを。その壮大さを、その高さを、その雑多さを体感する。
それはあまりにも濃い体験。現実の希薄さと、夢の色濃さ。別に諦めている風でもない。投げやりなわけでもないのだけれども。現実は平板で、わずかに不穏で、味の薄いもの。起伏めいた出来事さえ、淡々と通り過ぎて行く程度の。だからこそ際立つ夢の濃さ。何と濃い事。重要で、緊張感があって、乗り越え甲斐があって、何と充実していた事。
その旅は逃避とは異なる。その夢は逃避よりももっと穏やかで、当然で、自然なもの。もっと楽しくて、官能的で、自由で、不可思議な事。鮮やかに、自然に、当然の緩やかさを以って、確かな現実さえ、不確かにして行くもの。堅実に生きていたはずの現実さえ、曖昧にして行くもの。その魅力と濃さを以って、体感するものの生を満たして行くもの。だからこそ恐ろしい。だからこそ危うい。あまりにも深いが故に。何もかもがとどまり続けている、"永遠"であるが故に。現実を厭うものに、そこは何と魅力的に思える事だろうか。
終わりはひどく悲しい。"永遠"に囚われると言う事。踏み止まると言う事。ぽっかりと、いない。もうどこにもいないと言う、確信めいた悲しみ。

家族こそが、現実において最も近くにいるもの達が、彼女を一番知らない。その呑気である事。呑気で鈍い、無関心さ。


屋根屋
屋根屋
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村田 喜代子
講談社
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