2020年4月17日金曜日

金井美恵子『軽いめまい』再読の記録

ああ、よく知っている。本当に、よく知っている。その繰り返し。繰り返しの中の。そのめまい。うんざりするほどに、よく知っている。あまりにも近しい。自分もまたそこで生きていると感じる。そのめまいと吐き気と放心に。自分もまた限りなく近い場所にあると感じる。その多くが、そこにある多くが、自分自身もまた幾度となく経験し、体感し、生きた事のある、この先も幾度となく生きる事になるであろう、瞬間であり、感覚であり、情景。或いは快さであり、不快さであり、快不快でさえない、反復。
あまりにも馴染み深く、近しいそれら。そこここにある、無数にあるそれら。あまりにも近し過ぎて、常の事であり過ぎて、平素は気にもとめないような、何一つ特別ではない類の事。読む事で、自分はようやく思い出す。自分がそれを、うんざりするほどによく知っている事を。自分にとってそれが、如何に身近で、当然で、覚えのあるものであるかを。うんざりするほどに、思い出す。自分がどこにいるか…如何に乏しくて、忙しなくて、煩わしくて、面倒くさくて、退屈で、平板な世界にいるか。それなりに考えたり楽しんだりもしつつ、自分が如何に繰り返しを繰り返して生きているか、などの事をも。読む事で、自分は今一度、思い知らされる。 

如何に身近で、親密で、馴染み深くて、よく知っているか。如何に平板で、退屈で、気怠くて、濃密で、乏しくて、煩わしくて、騒がしくて、苛立たしくて、面倒くさくて、噛み合わなくて、鬱陶しくて、ありふれているか。或いは、自分がそれなりに楽しんだり、考えたり、気を使ったり、着飾ったり、白けたり、馬鹿にしたり、気後れしたり、戸惑ったり、しばしぼうっと、見惚れたり、放心したり、呆然としたりしながら、生きている事。そうして、それが繰り返しである事さえ忘れてしまうぐらいに、一つ一つの繰り返しが、何の意味もなくなるぐらいに、繰り返しを繰り返して生きている事。読む事で思い知らされると言う、快楽。読む事で、思い出し、思い知り、思い知らされると言う、快楽。うんざりするほどに濃く、鮮やかな。 
週に2、3回、仕事帰りに寄るドラッグストアや、週に1、2回、買い出しに行く何件かのスーパーの店内の様相、商品や、商品の配置、陳列棚の配置を、そう言えば自分もそらで言えてしまうし、けれど自分がそらで言えてしまう事にも、まるで意味はなくて、当然のように、ただそらで言えてしまえるだけの事であって、平素特に考える事もなく、特別な意味を与える訳でもなく、自分もまた繰り返しを繰り返して生きているな、と思う。既視感に満ちた、快不快の反復を。軽いめまいと吐き気と放心を、しばしば覚えつつ。生きているな、と思い知る。