2020年8月29日土曜日

佐藤亜紀『黄金列車』

始まりから既に渦中、只中。既に動き出している。既に戻れない所にいる。いつもの事ながら始まりから既に面白いと言う間違いのなさ。言葉は少なく、必要最低限のやり取り、これで伝わるだろうとでも言うような無駄のなさ、瀬戸際、スレスレの、けれど冷静な応酬。そしてその鮮やかな手並と落ち着きの内にある、確かに感じる、存外な程の熱さと泥臭さ…。
色鮮やかな記憶と、色のない今。楽しくて穏やかで、限りなく幸福な過去と。疲れていて憂鬱で、倦んでいる今。いつからか。交わるのは。色を失い、艶を失い、くすんで行き、不穏さが勝る日々への移行。徐々に進む。避けられない事実として。兆しはあった。ずっと含んではいた。面影もある。過去には今の暗さ、今には過去の色彩の名残り。ずっと潜んではいる。
本当に皆、黙々とこなす。事務的に、仕事として、いつも通り。知識と経験をそれこそ最大限に活用して。やり方を知っている人達。やり方を、何が有効か、パターンを、ケースを、立ち回り方を、こなし方を知っている人達。こう言った事態にはこれ、と、どうすべきか、どうなるかを、本当によく知っていて、悲しい程に知っていて、思い知っていて、身に染みついてしまっている人達。それ故に寡黙で、淡白で、冷静で、やはり倦んでいて、疲弊していて、皮肉な顔をしていて、けれどこの耐え難いまでに欲深くて醜悪で、不条理な世界にあって、たまらなく好ましい人達…。
彼等が秘めているものの、奥底に潜ませているものの暗さと熱さ。夢に見た光景の眩さ。その暗さ、熱に触れる時、深淵とも言うべき、その夢に触れる時、息が詰まりそうになる。どうかしてしまいそうになる。悲しくて、愛おしい。正気でいる事の方が難しい世界にあって。狂わずにいる彼等の、決して失ってしまわぬ彼等の、その戦いの、たまらなく愛おしい事。