2020年8月4日火曜日

佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』再読の記録

その文章と物語の、強固で端正で、素晴らしく壮麗である事。心憎い程に、堅牢。分厚く硬く、緻密で滑らかで、隙がなく、膨大なその何もかもが、完全に網羅されている、と言う事。張りぼてでない事。鮮やかな采配。巧妙な見せ方。確固たる裏付け。空白。暗転。無粋とばかり、明らかにされる事のないその闇にも、確かにあるとわかる。不要とばかり、語られる事のないその奥にも、確かに存在しており、広がっていると感じる。
浮上と沈黙を繰り返し、彼等は幾度となく語り始め、語り続ける。屈辱を、怒りを、退廃の日々と転落の様相を、情愛を、裏切りを、或いは復讐の暗さを。容易には重ならぬ見解。事実とするものの相違。入れ替わり、互いに、否定し、時に折れながら。補うように、埋め合うように、引き継ぎ、加え、修正し、確かめるように、語り直すかのように。
酷く自嘲めいている。酷く疲弊している。その落ち着いた口振り。まるでし終えた者のそれ。今はもう、し終え、行き着いた者の。転落し終えた、その果てにある者の。冷静で、陰鬱な。饒舌と倦怠。けれどそこは当然、果てなどではないのだ。彼等の在るそこは。決して終わりなどではないのだ。この先もまだ、彷徨い続けるほかないのだ。