2020年10月31日土曜日

架空の本の感想『カワウソたちの夢』『かの家』

Twitterに投稿した、架空の本の、架空の感想。

『カワウソたちの夢』
延々と拘り続け、どこへも行かない。延々と掘り続ける。同じ場所、同じ地点を、延々と、永遠に。掘り続け、掘り進め、掘りあぐね。延々ととどまり続ける。妄執。それのみ、ただ、延々と試み続ける。なにものにもなりはしない。他のなにものとも交わりはしない。
不毛の極み。どこへも辿り着かないと言う事。達する事のなさ。永遠に只中であり、途中であると言う事。ただひたすらに挑み、切実である事の、ひたむきである事の恐ろしさ。そしてまた、そのひたむきさ、切実さを叶え得るほどに、無限である事の、尽き果てぬ事の、何とも恐ろしい事。

『かの家』
その家々の事であれば、自分も鮮明に覚えている。鮮明に思い出す事が出来る。不吉なまでに、憂鬱なまでに鮮明に。それらはすでに、真実ではない。必ずしも真実のものである訳ではない鮮明さ。本当にそうであったかどうかなど、もう判断しようもない。判断しようもないほどに、古く、根深い。自らの記憶の内にのみ、存在し続ける家々の事。都合よく、綺麗さっぱりと、滅び去ってくれる事もなく、執拗に、しぶとく、記憶の内にのみ、けれど今なお重く、苦々しいまでに重く、存在し続ける家々の事。何とも疑わしい鮮明さ。鮮明であればあるだけ、疑わしい。確かに生きた事があると言う、感じた事があると言う、その鮮やかな確信さえ、疑わしい。境目などとうにない。曖昧に、複雑に、混ざり合ってしまっている。
自らの内にのみ存在し、触れるたびに不吉な鮮明さを以って現れる家々について。怪物じみた、それ自体が悪夢そのものと化した、かの家々について。未だに夢に見る。繰り返し、繰り返し、夢に見る、その家々の事。目覚めるたび、自らの内にこびりついて離れぬものを、それがいつまでもこびりついて離れぬものである事を、嫌と言うほどに、ぞっとするほどに、思い知るかのよう、思い知らされるかのよう。