2020年11月15日日曜日

金井美恵子『遊興一匹 迷い猫あずかってます』の感想及び金井姉妹と猫

 〈猫というものはまったくの他者で、ペットという以上に、別の生命として家で生活しているわけである〉…猫と暮らす事、トラーちゃんと暮らす事。一緒に遊んだり、その見た目や仕草や行動や習性のすべてを飽きる事なくすぐ側で見続けたりしながら。如何にかわいくて甘やかすほかないか、ぜいたくをさせたいと思う存在であるか。金井姉妹の溺愛っぷりたるや。その見た目や仕草や行動や習性のすべてをまるごと愛しているかのよう。しげしげと見ている。まるで否定と言うものの存在しない眼差し。つのるばかりで「歯どめ」と言うもののきかない、その可愛さについて…。〈「家族の一員」どころか、「家族の中心」〉と言う言葉が物語る通り、或いはそれ以上である金井姉妹のトラーちゃんとの暮らし。

〈「充足」そのものが柔わらかな毛皮に包まれ、あたたかい呼吸に息づいて、このうえない熱心さで睡眠を遂行している…〉〈お腹の部分のフワフワした明るい色の毛は、冷やして固めるまえの杏入りババロアがクリーム状に角立っているように見え…〉猫への、トラーちゃんへの、親密な愛情に満ちた言葉と文章の快さ。感動を、発見を、驚きを、戸惑いを、よさを、つのり続けるばかりである可愛さを、一緒に遊び、すぐ近くで、飽きる事なく見続けたが故に覚え得た、体感し得たそれらを語り、語り続ける言葉の。どこまでも楽しく、豊かで、強靭である事。濃密に立ち上り、愛情のその、驚くほどに親密である事を伝える…。

〈ようするに猫という生き物を、生き物として愛している人たちがいる…〉〈トラーがいるということがあたりまえのことになっているのに、それでもトラーを見ていると、いつまでも見あきることがない、ということに驚きを覚える、ということを含めて、馬鹿馬鹿しい結論を言うようだが、猫はやっぱりなんといってもいいものなのである〉…まったくもって、どこまでも、どこまでも、であり、し尽くしてしまう事のない類のもの。

また金井久美子のさし絵のトラーちゃんがとても可愛い。こちらもまた猫への、トラーちゃんへの親密な愛情に満ち溢れている。けれど実物の方がずっと可愛いと言う…描いた本人さえ、〈トラーの可愛いところが、ちょっと出てない、本当はもっときれいで可愛いのに〉と言う…。その辺りも含めて、どこまでも愛情に満ち溢れている。この本を含め、金井美恵子の本には、金井久美子の描いたトラーちゃんが挿画としてしばしば登場すると言うか、ページのあちこちに、眠っていたりあくびをしていたり座っていたり気ままに行動しているトラーちゃんがいたりするのだけれども、それらはまさしく、〈猫というものはまったくの他者で、ペットという以上に、別の生命として家で生活している〉姿であって、猫がそのようにして生きていて暮らしている事の愛おしさ、一緒に遊びたくなるような、しげしげと見続けていたくなるような、猫の可愛さや慕わしさを見る者に伝え、また強く思い知らせるものであるな、と改めて…。


金井美恵子が語り、物語る魅惑の中で、結局の所トラーちゃんが最強なのではないかと思えて来る。トラーちゃんの見た目や行動や仕草や習性を語る金井美恵子の言葉の強度や繊細さや親密さは、何というか他の魅惑を語る際のそれと比べても、特に凄まじい。その感動や愛情を存分に含み、濃密に立ち上る…。服や布地や装飾を物語る際のそれも好きなのだけれども、魅惑としてより強く感じるのは、やはり猫や、猫をはじめとする生き物であるなあと、自分は思う。エッセイ・コレクションに、「猫、その他の動物」と言うテーマがあるのは非常に正しいと言うか、然もありなん、当然の事だ。