2021年1月23日土曜日

山尾悠子『飛ぶ孔雀』再読の記録

既にそこにある、出来上がっており、構築されており、存在している、一つの世界。めくるめく彷徨。数多の声と言説と光景と記憶。完全に知らない訳ではない。既視感。違和感。居心地の悪さ。もどかしさ。不安。めまい。終始つきまとう。その入り乱れている事。交錯している事。隔たれている事。同時進行である事。理。決まり。法則。因果。退場と消滅。各々の役割。当然のように、明白であり、ごく自然な、周知の事であるかのように語られ続ける。縦横、上下、表裏、膨大なすべてを網羅し、把握する者の落ち着きと平静さを以って。現のそれではない、奇異なる領域に属する事ども。 けれども決して、それだけではない。それだけであるはずがない。山尾悠子の煌めく言葉は奇異なる世界に誘うだけでなく、同時に、酷く身近な、平素そう意識もせずに消費し用い、目にし耳にし、繰り返し手にして来たような物事、言説、感覚をも鮮やかに伝えて来、立ち上らせて来るのだからめまい。あまりにも膨大であり豊かであるためにめまい。煌めくその言葉が見せ、伝え、形作り、立ち上らせるものの膨大さと豊かさ。あまりにも多く、眩くてめまい。規則と構造、飛び交う声と時間、喧騒と混乱、概要、顛末。或いは空白にさえ。洪水のような凄みは宿る。奥へ、奥へ、果てまでも飲み込まれて行くよう。

物語られ描写され続けるイメージの、或いはイメージを物語り描写する言葉の、煌びやかで豪奢で絢爛で細かく、執拗なまでにそうであり、無尽蔵である事…。無数に飛び交う声と言説の、その一つ一つにさえいちいちざわめく。平穏無事ではいられない。何一つ素通りする事が出来ない。夥しい快不快と魅惑。(…かつ、それらはあくまでも鷹揚、と言うか、ごく自然な、当然の、既に決まっている、自明の事であるかのように語られ、或いは語り、描写され続けるが故に、不穏でめまい。)