2021年1月23日土曜日

皆川博子『U』

膨大な知識を記録する言葉の虚さ、まるで意味のない事を、自らにとって、まるで重要ではないと言う事、無関心さをそのまま物語るかのような、正確な言葉の無機質さと、記憶や感覚を書き記す言葉の切実さ、曖昧で、ひどく疑わしく、けれど強く、確かなものであるそれら、逡巡や痛みや恐怖や、衝動を記す不確かな言葉の重さ。不明瞭である部分、記録になく、最早証明する事も出来ぬ、不確かで、けれど鮮烈であり続けるもの…自らと、自らの半身だけのものであると、語り手達が共有し続けるその記憶と感覚の、永く、解き明かし難く、複雑で、悲しい事。たまらなく愛おしい事。
彼等の記憶、翻弄され、組み込まれ、或いは自ら決め、或いはさすらう。まったく生易しいものではない。当然綺麗なだけのものではない。汚穢や罪、屈辱、欠落を含み、醜悪さを含み、痛みを含み、悲しみを、怒りを、憎しみを含み、嫌悪を含み、諦めを含み、自嘲を含み、皮肉を含み、迷いを含み、悔恨を含み、重く、後ろ暗く、定め難い。なにものにも昇華し得ぬ類の…。
生の只中に在る者は語る事をやめ、連綿と続く生の、その外に在る事を選んだ者は語り続ける。拒み続ける事。止まった時の中にのみ在り続ける事。どこにも属さず、何物をも肯定せず、繁栄と衰退を傍観し続ける事。空虚さ。何もかもが繰り返しであり、繰り返されて行くのだと言う事。
事象の羅列に過ぎない正確な記録と、不明瞭で不安定な記憶。複雑に絡まり合い、溶け合い、最早解きほぐす事も出来ない、感情と思索の数多。向き合えば疲弊し、そう容易には消化し切れぬそれら…。けれど埋もれてしまう、忘れ去られてしまう。避けられぬ繰り返しの中で、容赦なく続いて行く生と死の中で。その声も、思念も。長く、膨大な、あのすべてが。埋もれたまま、忘れ去られてしまう。多くの、あまりにも多くの事が、恐らくはそのようにして打ち捨てられて来たのだと言う事。そうして続いて来たのであり、続いて行くのだと言う事。酷く、悲しい。直に感じた者の内には、こんなにも重く残り続けていると言うのに。