互いの存在を浮き彫りにし、際立たせ合うかのような刺激的なやり取り。別段肯定し合う必要も擦り合わせる必要もなく、差異は差異のまま、見定めあぐねたまま相手の言葉を楽しめそうな二人。笙野頼子は特に、あえて問いかけ色々提示してみせて、松浦理英子が生真面目にもそれを逐一訂正したり、投げかけたイメージには決してはまらない答えを返して来る姿を見て、面白がっているようにも見える。二人とも毒を、似た種類の毒を用いる。この毒は危ういがむしろ心地よい。我々がもっともっと摂取するべき毒。
自分にとっては『レストレス・ドリーム』への信頼感と言うか、笙野頼子への傾倒をより深めるきっかけとなった一冊でもある。如何に凄い事をやってのけているのか、とんでもない難事であり闘いであり啓示であり、自分がそれを読んで、まったく変わってしまったと確信している事の正しさを、改めて思い知る。
そして松浦理英子は言葉一つ一つに対する敏感さや繊細さが素晴らしいと思う。何かこう、自らの作品であるとか考え、或いは自らと言うものを正確に表現する事へのこだわりが強いと言うか。投げ掛けられた言葉一つ一つに反応し、丁寧に丁寧に修正し続ける。自らをより正確に表現する言葉へと正し続ける。