2021年4月4日日曜日

『金井美恵子エッセイ・コレクション2 猫、そのほかの動物』再読の記録

猫、そのほかの動物の、そして何よりもトラーちゃんの、息づかいやにおい、鳴き声やたてる物音、動きや毛並みや温かさや、気配、体つきや雰囲気や姿形の、よさについて、如何に素晴らしく、よいものであるか、或いはその〈ため息の出るような、満ちたりきった充足感〉、を語る金井美恵子の言葉ほど、魅惑的なものはないように思う。自らとこの上なく近しく、親密な関係にあるものを書く時の、あの。金井美恵子の豊かで繊細な言葉を読むことほど、楽しく幸福なことはないように思う。その広がりと連なりと膨らみの、自在さ、尽きる事のなさ。
彼等(特にトラーちゃんなのだけれども)はいきいきと、柔らかに、温かにそこにある。ふさふさと、ぱたぱたと、しなやかに、動き回っている、眠りこけている。立ち上る気配の、息づかいの、特にそのにおいの濃い事。彼等がまさしくそこに在り、生きているのだと言う事を思い知らせるかのような。彼等の発する、生きているその身体より発せられるにおいの濃さ。けれどもそれは即ち、彼等がいなくなってしまえば、においもまた消えてしまうと言う事であり、そのにおいの消えてしまった時、それを発する彼等もまたいないのだと言う事を、痛切に思い知らせるものでもあるのだ。 
 いないと言う事。いないと言う状態をも。強く強く思い知る。その不自然さや慣れ難さなど、いない事を物語る文章までたどり着いてしまった時、自分はいつも声が出る。間のぬけたような、何とも情けない声が出てしまう。思い知った事の重さに堪え切れぬかのように。それまで当然のものであったと言う、細かでなんということのない幸福の数々や、そこに生きていた存在そのもののよさや美しさを物語る言葉を目の当たりにして、充足のため息をもらしてしまうのと同様に。