2021年4月6日火曜日

金井美恵子『目白雑録4』

あー、面白かった。何度も吹き出して笑う。金井美恵子はいつもズレや違和感や可笑しさを絶対に見逃しはしないし、忘れてはくれないし、それを明らかにするのが最高にうまい。華麗なるあてこすりの数々。思い知らされる事の楽しさ。如何にズレていて的外れでおかしいか、一瞬で思い知らされる事の。痛烈な楽しさ。〈…唯、端的に年を取って、物の見方がさらに偏狭になって、ますますとるにたりない枝葉末節な細部がやけに気になる、というだけのことで、正しい日本語や美しい日本語といったものを美意識上重大視するわけでもなく、あきらかに間違ったことというか、事実と違うことを勿体をつけて平気で書いてあるのを見ると苛々もするし笑ってしまうというだけのことで、そこにはもちろん間違ったことを書いてしまう可能性への自戒もこめられている〉ものであるからこそ、金井美恵子の文章と言うかエッセイは手強くて楽しくて面白いのであるし、自分は大好きなのである。もっともっと気にしてほしい。気にし続けて欲しい。とるにたりないどころがそれがすべてであるとも言えそうな、枝葉末節な細部。それこそ重箱のすみをつつくように。具に、事細かに。自らはまるで淫するかのように細部を書き続けるが故に魅惑的な、言葉のあの強度と豊かさと繊細さを以って。思い知らせ続けてほしい。
しかし次から次へと、問題も違和感も本当に尽きる事がないのであった。鈍重で無知で無神経で、あきれるほかないようなそれら。溢れかえっている。そこかしこにある。多岐に渡り過ぎている。金井美恵子の言葉でわかりたい思い知りたい事ばかりある世の中。何と言うかタイムリーな話題もあって。完全に繰り返されているし、何一つ変わってはいないな、と思う。誤差でしかない。大元は何も変わっていないように思える。今この時の事かと錯覚しそうになる。
附録もまた嬉しい。李朝民画(の虎、李朝のトラーちゃん)や石井桃子や吉行淳之介を語る際に発揮されるその言葉の豊饒さ、きらめき、柔らかく、温かな…。『新潮2010年3月号』掲載の日記で、なんだか得をした気分になる。自分はつい先日、その11年後の三月号を購入したばかりでもあるので。