2021年4月21日水曜日

『山田風太郎傑作選/江戸篇 八犬伝〈上〉〈下〉』

駆け抜けた。ずっと耽溺したまま。ただただ面白い。魅惑的過ぎる、あまりにも魅惑であり過ぎる虚の世界。一方実の世界には余地がない。遊ぶ余地もないが、物語は大いに遊んでいる。不思議でならない。〈「…あんたのような人から、こんな途方もない話が出てくるのが」〉 
虚は実より生まれるが、虚は虚のみでもう、成り立ってしまっている。実とは別の、まるで異なる、一つの世界として、魅惑として、成立してしまっている。実に在りながら、虚を虚として、実に飲み込まれてしまう事のない強靭さを備えた魅惑として、徹底して成立させ続ける事の難しさ。すべてを網羅し回収し貫徹する。何とも執拗で切実で、不毛とも言うべき試み。虚と実の、まるで異なる事を知るが故に言いたくなる。それ故に言いたくなる。北斎のように。〈「…この本の山の中にだけいて、あんな物語が出てくるのはまったくふしぎだ。まるで、うすぐらい隅っこで、せっせと糸をはきだしているクモだね」〉…虚実のその落差、隔たりが生み落とす苦しみや矛盾への不安。急ぎ下巻へ。


 虚実冥合へと至る、後半がとにかく凄まじい。高まり行く様も、極まり、研ぎ澄まされて行く様も。その勢いと凄み、圧倒され、ただ呆然と見届ける。込み上げてくるものの熱さ、膨大さよ。すべてすくう。すべて回収し、正す。自ら名付け、作り出したすべて。抜かりなく、執拗なまでに、完璧に、徹底的に。何という頑なさ、強情さ。頑迷なまでに遵守し続ける。貫き通し続ける。物語はそのこだわりによって面白さを失するが、けれどそれこそが、すべてを正しき結末へと導く事が、そう描き切る事が、自らが何よりも成し遂げるべき事であると信ずるが故に。虚は正と、固く固く信じ、そう在る事を求め続けるが故に。虚の痛快さの前で、実の世界はあまりにもむごく。何一つ上手く行かない。何一つ叶いはしない。軋轢、矛盾、喪失、貧窮…物語とは何もかもが異なる。けれどその不幸と残酷さの中に在ってなお、頑なに挑み続けたが故に。物語を、正こそが勝る虚を、頑なに守り続けたが故に。至り得た極み、かの冥合はかくも凄まじい。
苦難の内にて達する法悦の凄み。法悦に在る者たちの、その研ぎ澄まされて行く姿の凄み…。繰り返しになってしまうが、凄かったと思う。後半は特に、凄い書きっぷりであった。書きに書いていて、とんでもなかった。