2021年7月4日日曜日

笙野頼子『ウラミズモ奴隷選挙』

ひー、しんどい。めちゃ疲弊する。めちゃすり減る。目の当たりにして、読む事で、嫌と言うほどに体験させられて、ひどく暗い気持ちになる。むしろ絶望的な気持ちにさえなると言うか、最早存在していたくなくなるレベルの気持ちにまでなる。だってそれ、知っている世界の事かもしれないのだ。小説であり、フィクションであり、結構なとんでもディストピア、けれど既視感、そのまったく荒唐無稽でもない事や、見た事のあるような言説の数々、容赦なく酷さ歪みを浮き彫りにする細部の数多に叩きのめされてしまいそうになる。あまりにも近しいと感じてしまう。今とさえ当然無関係ではない。恐怖してしまうほど邪悪で根深いものども。 
辛過ぎる。吐きそうになる。相当な絶望感。希望も決して痛快なものではない、当たり前だが。ウワアーとかヒェーとか奇声しか出ない。途中で気が滅入ってしまい、しばらく中断していたりもした。とんでもをとんでものまま、現実的な恐怖や危機感を物語り思い知らせるどえらい武器と言うか凄みにしてしまう言葉とディテール。とにかくディテールが凄いと思う。そのディテールの数多によって否応なしに体感させられる。様々な言説や仕組みや構造の歪み、グロテスクさ。 
あとめちゃ重要な事なのだけれども、やっぱり笙野頼子の小説は面白い。言葉を以って抗する。一度壊し、解体する。ただ真逆をやるのではなく、リライトするのではなく、全部ふまえたまま、かつ、新しく作り上げる。膨大な数のイメージと事実を用いて、間隙なく、強く堅牢なフィクションへ。

 〈私はただシーツにでもくるまれ?あるいは美しい布で飾られて静かにしていたい。〉…けれども自分が最も惹かれるのは笙野頼子のこう言った文章かもしれない。