2015年6月21日日曜日

佐藤亜紀『1809 ナポレオン暗殺』

鮮やかに、精緻に描き込まれた陰謀、危うい企み、言葉は濃密に場面を運び続け、だが、それでいて、なにものにも縛られることのない、奔放な魅力をも同時に備えている。随所に張り巡らされた罠、精巧な仕掛けを隠すように覆う、軽やかで瀟洒な遣り取り。混沌を泳ぐように楽しみ、突き抜けた場所を生きるものの、不可思議な輝き。華麗なゲームを綻ばせる熱情と、それでも失われぬ冷静さ。気がつけば心を絡め取られてしまっている、小憎たらしさ。語り手の聡さ、多くのしがらみを捨て去ろうと試みる、破滅的な衝動を理解しながら、甘い誘惑に引きずり込まれることのない、手堅さが堪らない。見せ場はしっかりと決め、こちらの期待通り、あえて愚かな選択をしては、その都度見事にくぐり抜けてくれるのだから、より一層。ただの手駒におさまらぬ辺りがまたまた。自らの能力に溺れることなく、ほどよく勇敢で、ほどよく器用で、おまけに美男であるらしい。何だか狡い。色々狡い。妬みやら悔しさやら、興奮やらときめきやら、諸々込み上がってきては、最後まで心憎い作品への感嘆に染められた、唸りへと変わる。

文字通り唸る。ぐぬぅ、面白いと唸る。精巧さ、緊迫感、激動の様相を思わせるに適した速度を保ちつつ、余裕たっぷりと、人や言葉を遊ばせているような心憎さ。いや、小憎たらしさ。危うい企み、巧妙な罠、その中でなお、縛られず、固まらず、軽やかさ、奔放さをまとい続けるが故に瀟洒。ぐぬぅ、面白い。



1809―ナポレオン暗殺 (文春文庫)
佐藤 亜紀
文藝春秋
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