2015年6月19日金曜日

高樹のぶ子『燃える塔』

目前に迫る死を避け、生き延びてしまったものの苦しみ。先に逝ったものたちへの悔恨と慕わしさ。自らを現実に縛りつけるものたちへの、ささやかな愛情と煩わしさ。その口より明かされることなく、ただ燻り続けるよう、自らの内に残されたそれら。愛するものの足跡を辿り、未だとどまり続けるその思いを、一つずつ解いて行くためのこの旅が、自らを始点に導くと、止まらずに進む。生と死を、今と過去を、その領域を区切るもののない、曖昧な時間の中で出会う、いくつもの感情。向けられた憎しみ、暗い齟齬より抜け出せぬものの言葉が、心より抉り出すように告げる、自らの生そのものの危うさ。繰り返し巡り会う、懐かしく、不可思議な邂逅に、心はざわめき、滞る。共鳴と反発、どちらをも抱え、進めども届かぬ姿にもどかしさを募らせながら。だが、自らに残されたものたちに触れる度、身体を奔るそれは、生という営みの内よりもたらされた、甘やかな悦び。自らの生が、その危うさが生み落とした不幸を見据えてなお、痛みにさえ、豊艶な愉悦を見出し、歩みを止めぬ強さ。鮮やかで、眩しい。

生死、時間、夢現、区別なく入り混じり、境目なく溶け合う光景の妖しさ、凄艶さ。心を抉る痛み、身体を襲う純粋な衝動のしなやかさ。性愛とは別種の、確かなものを要さぬ交わり、生という営みそのもののが含む、愉悦の豊潤さ。大変慕わしい。言葉はたっぷりと潤い、豊かに、艶やかに香る。

性愛より得られるそれをゆうに超えた、圧倒的な愉悦、時に自棄的とも言えるほどの耽溺をもたらす快楽…それは例えば、関係の背徳性、背徳的な関係性などで、性愛や交わりをより濃密なものに高めるだとか、そう言ったこととはまるで異なる方向のもののように思える。人どころか命あるすべてのものの、生き死にの営みそのものに、官能的な色合い、芳香、息遣いを見出し、自らの愉悦を重ねるようになぞる。官能を生々しく捉える触覚の繊細さ、その姿態を象る言葉の怜悧さと艶かしさ、高樹のぶ子の魅力と感じる部分はこの辺り。



燃える塔 (新潮文庫)
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高樹 のぶ子
新潮社
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