『鶴は病みき』
時間自体は短い。一瞬とも言える、僅かなもの。だが、それは驚くほど七面倒臭くて、歯痒くて、濃密な交流。奥底には淡く、確かな親しみと、好ましさを。言葉、振る舞い、時折滲む悪意の執拗さに憤り、悲しみ、嫌悪に満たされようとも、心に波及する痛みは、どこかもどかしく、温かなものをまとう。互いをわかりながら、丁度よく、形を整えることが出来ずにいる関係に、苦しみながら、それでもなお、擦れ合い、擦れ合わせ、交流を深めて行く二人。時に熟された思いの濃さ、わだまりさえ愛おしむよう寂寥を語る言葉に、切なさが募る。
『食魔』
食に対する切実さ、取り憑かれたように、幾度となく反芻し、残すところなく、味わい尽くそうと咀嚼し、浸り続ける。死に備わる食欲の果てしなさ、その尽きることのない仕組みの、不可思議さ。ままならぬ身上への惨めさが、ふつふつと巡り行くことに抗えぬ自らを見遣りながら、執拗に思い、食し、なぞる。癒えることのない飢え、渇き。燻る執念の凄み。しかし、何より魅力的なのはやはり、咀嚼する際の、身体を用いて交わるよう、食物を咀嚼する姿の艶やかさ、或いは、食材の色、照り、舌に蕩けていく味や、鼻腔をくすぐる芳香の豊穣さ、逃さずに捉え、体内に巡らせる動きの、官能的な緩慢さ…それら食を鮮やかに彩る、多くの言葉たち。ねっとりと、濃厚な余韻が全身を巡る。