2022年1月23日日曜日

金井美恵子『噂の娘』を読むこと雑感 2

何度読んでもそれこそ読み終えた感じがしなくて、最後に打たれた句点によって、小説が終わってしまったとは到底思えなくて、ためらいに痙攣し、痙攣しつづける私の指を、信じられないような驚きとともに眺め続けてしまうし、恐らく自分は、もっとずっとこの小説を読んでいたいのだと思う。 
けれども自分は何によってそう思うのだろうか。もっとずっとこの小説を読んでいたいと、まるで生きるようにして、生き直すようにして、無防備な皮膚と肌を晒して、そこに書かれる何もかもを吸収するようにして、自らの記憶をも引き出されながら、小説と絡まり合うようにして読み続けていたいのだと、自分は何によってそう思うのだろうか。考えてみればやはり、それは何よりも作者の欲望によって、ではないかと思う。作者の書くことへの欲望、言葉で描写することへの、読みたいものを書き足して行くのだとさえ言うような、今はまだ書ききれずに累積し続けるだけの夥しい数のそれをも含む、作者の欲望によって、引き出される、読む者の欲望もまた引き出されてしまうのではないか。 
読んだことも見たことも聞いたことも、ウソもホントも噂話も呟きも口癖も語り草になっているようなエピソードも子どもの耳には届かないように交わされる秘密の会話も、声や色や匂いや身振りや仕草ごと、それこそ見境なく、取捨選択さえもせず、思い違いや重複や話同士がすり替わっていることの正誤を判断することも出来ないまま、順序も整合性も明確ではなくまるで絡まりあうように曖昧で不明瞭で、けれどもひどく具体的である強さと生々しさを備えたままの、書かれ行くすべてを自分は吸収するのだし、どうしたって、そのように生きていた時分のことを思い出してしまいもする。わかることもわからないこともそのはざまであるようなことも、それこそ関係なく、不安や恐れや戸惑いや好奇心の混ざりあう繊細さと大胆さを以って目の前にあるすべてを吸収するようにして生きていた時分のこと。自分にとっての不都合さになんとなく気付いていながら、それを打ち消すように、忘れてしまうように努めたり、或いは不安なまま覚えていたり、やがて本当に忘れてしまったり、別の記憶とないまぜにしてしまったりして、本当にあったことなのかどうなのか、もはや確かめる方法もないような時分と類の記憶のこと。読むことで、思い出す。生きるように、生き直すようにして読んで、思い出す。引き出されるようにして、思い出す。近しく小さく具体的な物事への愛着や感触の記憶の存外なほどの強靭さと膨大さに驚きさえしながら。