けれどもまあ、なんと言っても武田百合子が最高である。圧倒的に魅力的である。〈日記なんて、ウソですよねえ。〉と言う言葉の強さ。目が覚めるような素晴らしさである。武田百合子のこういった言葉を読むと、嬉しくなってしまう。姉妹の武田百合子評、特に〈百合子さんの紀行文というのは、自分が生きているという感覚そのものが、ブリ・コラージュだという面白さがある〉と言う言葉によって、かの文章や本がまた輝き出す。
姉妹がゲストの印象を語る毎回のまえがきとあとがきも面白い。西江雅之評の〈たまたま人間に生まれたから自分も人間として人間と付きあっているだけ〉や、大岡昇平評の〈いわゆる完成を喰い破って、常に生成して行く非個体的な個体が、大岡昇平であり、その作品〉など。山田宏一に対しての〈必死の快楽主義者といったふうの凄味〉があるとか〈度のすぎた幸せのため〉に〈禁欲的ですらある〉とか。ここに呼ばれている人たちは、姉妹にとって本当に〈気に入ったお客さま〉であるのだなあと。
そしてそして語り下ろし対談!〈だから、あの鼎談は、大江健三郎しか読んでなかったっていうことね(笑)〉に笑う。山尾悠子の話題や阿佐ヶ谷姉妹の名前があがったりすると、一気に今!この現在!という感じがして嬉しい、楽しい。タイガー立石の回の日曜美術館など、極めて個人的でささやかで陳腐なことではあるのだけれども、読むことで金井姉妹と同じ今を共有できることを、祝福したくなる。 この対談にて姉妹がジョイス・マンスールやレオノーラ・キャリントン(カリントン表記)の話をしていて、美恵子さんが、〈ジョイス・マンスールは好きだし、カリントンのことも私は書いてるけどね。〉と言うのだけれども、自分はそれがどこに書かれているか、すぐにわかるようになりたいのだ。例えばこう言った場合に金井美恵子がレオノーラ・キャリントンのことをどこに書いていたかすぐに思い浮かぶようになるくらい金井美恵子を読むことこそが、快楽的に読むこと、自分にとっての快楽的読書であると思うのだ。今は全然思い浮かばないので、またすぐに金井美恵子の本を読み返さなければならないのだけれども…。
〈一昨年、岩波書店から本になった〉随分前の〈キルシュネライトさんのインタビュー〉(『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』)も気になる。河野多惠子や津島佑子もインタビューされている。〈あっ、美恵子もインタビューされてるんだけど(笑)〉と久美子さん。