2022年3月24日木曜日
金井美恵子『『スタア誕生』』雑感メモ①
例えば〈薄いピンクで厚地のデシン風のカーテン〉とそこに〈丁度、星空のようにちりばめて縫いつけて〉ある〈ガラス玉〉に、〈夕日かそれとも朝日に染って淡い透明なバラ色に薄く光っている空の下にある池の噴水からとびちる水の飛沫に光線があたって、透きとおるまばゆい七色に輝いている様子を連想すべきなのかもしれない〉空間。或いはその〈無数のガラス玉〉の振りまく〈光の飛沫〉(〈天井や壁の照明を反射させて透明に輝く青や紫や赤やオレンジの…〉)と、〈光の飛沫〉が開いて行くスクリーンの白い輝き、〈シネマスコープの深紅色の絹地を背景に〉〈濃いブルー、紫、輝く黄色、緑色、濡れたような赤、透明な光線のようなオレンジ色にきらめきながら次々と音もなく、宙をゆっくりと舞う雪のように〉降りしきりふりつもる〈イミテーションのガラス玉のダイヤ〉…。それらを読むことで、と言うか、読みつつそれらを生きることで、自分はまず、かつて作者から映画へと捧げられた一冊の本、『愉しみはTVの彼方に』のことを思い出すのだし、その書物が〈ささやかな映画へのオマージュ〉として書かれ、作られたものであるのだということ、かの書物それ自体がまさに映画へのオマージュであるのだということをも当然、思い出すのだし、また今一度、鮮烈に思い知らされもするのだ。甘く、痛切なオマージュ。映画という魅惑に対する、その魅惑を生きるという体験に対する。愛であり、実践であり、オマージュそのものとして、書かれることになった書物と、小説のこと。その息苦しいまでの快楽について。(…〈バラ色〉は例えば〈薄い水色とごく薄い灰色と白の濁った空に輝いている〉雲のものであれば、それは〈短い束の間の時間、幸福感で充たされる美しさで、私を呆然とさせてしまう〉色でもあるはずだ。)