2022年3月24日木曜日
金井美恵子『『スタア誕生』』雑感メモ②
『『スタア誕生』』を読む時、自分はしばしば泣いてしまう。けれど何によって自分は泣くのか、何によって涙は溢れるのか。例えば銭湯の〈小さく波立ってゆらめき〉〈差し込む天井の明かりとり窓の光線をゆらゆら反射させるお湯のなかで〉まるで泳いでいるように見える〈金魚の娘〉の〈アザ〉や、〈水色の天井に〉踊る幾つもの〈光の斑〉と〈いくつものエコーになって波のように天井をかけぬける〉〈笑い声〉によって、時には美容院の店内にいつもあふれている〈平板な白っぽい光線〉〈全部で四つある鏡と天井から吊るされたシャンデリア風のカット・グラスの飾りが垂れているキラキラした明るい虹色の光〉と、その光の中ではいつも失われていた時間の無数さであるとか不可逆性によって、或いは〈私〉の記憶の中で、いくつもの物や出来事が、書かれたものや見たものや読んだことや聞いたことや人や名前や本や映画や具体的で膨大で細かなあれやこれが、虚や実や夢や空間や時間を超えて結び付いてしまうことの、結び付いて絡まり合って重なり合って、より強く重層的な快楽や魅惑と化して行くことの幸福、また小説を書くという行為でのみ再現することが可能になる、作者の記憶の中での結び付きの、その横断性というか豊かさ、そう言った祝福すべきような僥倖めいた結び付きからでさえ、小説は書かれ得るのだということ、それ読みつつ生きることの幸福によって、そして何よりも、『『スタア誕生』』が再び書きはじめられることになった理由としての〈ニューフェース公開審査会〉と〈金魚の娘〉…〈みぞおちに金魚のかたちのアザのある金魚の娘は、いわば、私に記憶の反芻をうながすものとしてあの時から存在していたのかもしれない。〉〈私の話しを、あきもせずに何度でも聞いてくれる者として〉〈自己の何かの痛みを忘れるさせるなぐさめの装置として、私の言葉をより正確に洗練させてくれる想像上の装置として〉それらが存在したのだということと、そのようにしてこの甘く苦しく強靭な小説が書きはじめられたのだということを、快楽として、身をもって思い知る時、自分は泣くのだし、涙はいつも溢れ出す。