2022年8月14日日曜日

『金井美恵子エッセイ・コレクション4 映画、柔らかい肌。映画にさわる』

この巻が一番、金井美恵子の小説に近しい。金井美恵子自身が〈映画を見なかったら小説を書くこともなかった〉と言っている以上、それはまったく不思議なことではなく、むしろ当然のことであるのかもしれないのだが、他の何について語るよりも、例えば書くことや読むことを語るよりも、ここにある言葉、映画という魅惑を語る言葉こそが、最も金井美恵子の小説に近しいと思うのだ。ここにある言葉の多くを、自分は金井美恵子の小説の中で、小説を読むことで、快楽として、喜びとして、或いはモラルとして、幾度となく体験して、幾度となく生き直して来たように思うのだ。自らを魅惑するものの官能性、如何に甘やかで濃密で豊かで鮮やかで俊敏で圧倒的で輝かしいか、語り尽くそうと、描写し尽くそうという欲望に言葉は満たされ貫かれ、今にも小説へとなだれこんでしまいそうではないか。
 映画という魅惑を語る金井美恵子の言葉を読むたび、即ち、例えば〈大人が判ってくれないことの孤独に共感するからではなく、生々しく変化しながら世界を見つめる表情に対して〉こそ感動すると言う金井美恵子の作家としてのモラルや、結び付いた映画と記憶のわかち難さによって、〈子供にとっての二年間をいったいどれくらいの濃密な時間が流れ、それまで知らなかった知識をどのように吸収していたのか、目まいに似た感覚に襲われるのだが、そうした時間の濃縮された子供時代の二年間の中にある一時期についての小説を思いたった時〉、その小説のタイトルを『噂の娘』としたことの必然性、また〈私の小説に出てくる映画は、いわば言葉になったフィルムというか、ある意味、映像より濃密に描写したいという、いわば変態的(笑)欲望で出来ているということかもしれない〉と語る時のその欲望であるとかを目の当たりにするたび、金井美恵子の小説が、金井美恵子の小説だけが、自分にとって、何故こんなにも魅惑的で快楽的で幸福そのものであるのか、何度でも思い知るのだ。 

 そして金井久美子インタヴュー「こうして本は作られた」である。『楽しみと日々』のオブジェ!「モノ」と結びつくという言葉が好きだ。「モノガタリ」よりも、ただの「モノ」にこそ結びつく。〈小さい箱なり板なりにあれこれ物を置いたり貼ったり編んだり縫ったり〉、妹(美恵子)が〈ここはもっと何か置けとか少し縫ってくれたりもして〉、〈持っている物の中から選んだり、特に作品に使おうと思っているわけではない食器だのアクセサリーだの布だのリボンだのを出してきて並べたりして〉、またさらに〈友人が自分の持っている「ガラクタ」を提供してくれたり、読者が「カワイイモノ」を送ってくださったり、自分で持っていなかった思いがけない「物」でイメージがさらにふくらむ〉…そのようにして作られているのだと、読みつつ見返しつつ、実感して何とも楽しい。けれどナンバーワン幸せポイントはやっぱり石井桃子からの手紙です。(〈「私が装丁賞の選考委員だったら、この本に装丁賞をあげたい」〉…!!)