2022年10月16日日曜日

木村敏『異常の構造』

〈…しかし、しょせん罪あるものならば、みずからの罪を冷徹に見透してみずからを断罪するほうがいさぎよいのではないか。虚構は、それがいかに避けられぬものであるとはいえ、虚構として暴露されなくてはならないのではないか。〉 
何に惹かれるかと言えばその批評性、それもみずからに対する批評性と言うものに、何よりも惹かれる。自己批評としてのそれ。明らかにして行くこと。不都合さを、矛盾を。異常を異常たらしめる仕組みの姿形を。解きほぐして行くこと。あわいの不確かさの内に、異常の内にあるひとたちの言葉を聞くことから。
〈常識〉を脱して、「異常」そのものの側に立ち、〈この常識的日常性の世界がいかに特殊な論理構造によって支配されているかということ〉を〈つぶさに検証〉すること。或いは正常というもの、「正常者」の社会の正当性、その〈正当な根拠〉をさえ問うこと。常識が〈すぐれて実践的な感覚〉であると言うことは、そしてその事実に対して敏感であると言うことは、それが如何に分かち難く、みずからにとっても如何に根深いものであるかを物語ることだ。それでもなお解体を試みるということ。そうせずにはいられないということ。明晰さをもってのみ、問いへと向き合い続けるということ。その厳しく痛切な自己批評性にこそ、何よりも惹かれる。読後浮かび上がるエピグラフの鮮やかさ。