2022年12月30日金曜日

一つの境目としての、金井美恵子「桃の園」メモ。

「桃の園」という、濃密なまでに金井美恵子である一篇について。メモ。『金井美恵子全短篇Ⅱ』はこの一篇に尽きるように思う。ここに自分の思う金井美恵子の短篇が凝縮されている。この一篇が一つの境目なのではないか。これ以前の金井美恵子も、これ以降の金井美恵子も、ここに入っている気がする。エピグラフの深沢七郎、夢の燈明のような桃色の果実、バスの緑色のビロードの座席のざらついた固い感触、ビロードと触れあう脚に溜まる汗の気持悪さ、淡いクリームと濃い薔薇色の果実の色彩、夏の強い日差し、幸福感、歯痛によって蘇る記憶の現前、無際限に与えられる甘いお菓子の魅惑と虫歯の疼痛、少女の淡い桃色のアンゴラ・ジャージイの柔らかな上等の布地のワンピースと時計と編上靴(編上靴の特に際立つこと…)、私を非常識なまでに甘やかす伯母、自分があらゆる物語のヒロインになることがないということを承知している私という存在、銀星座、無機物のように存在感のない虎の絵、歯医者の指、歯茎の肉の薔薇色と柔らかさ、赤い絹糸のような筋をつくって流れる血液、柔らかな肉の花弁の感触、私の感じた嫌悪と憎しみ、桃という果実に関する(吉岡実にも似た)詩人の言葉、桃の実の熟した蜜がしたたらせる蜃気楼の内に入り込むこと、眩惑と吐き気、緑と桃色の斑模様の輝かしさ、夢のなかの宙吊にされた時間のように開けるパノラマめいた光景…。書くことをどうするのか、どう処するのかということ、どのような態度をもって相対するのかということ。言葉と、書くという行為と。ここにあるすべてが、濃密なまでに金井美恵子なのだ。これ以前の小説は勿論、これ以降に書かれる金井美恵子の小説をも既に内包しているように思える。 

 或いは桃子という名前について。歯医者というか詩人は桃に指や唇や歯をあてる訳なのだけれども、作家は桃の腐敗しやすさのことを考えると胸が一杯になって、にがい胃液がこみあげて来て、気持が悪くなってしまうのだ。眩惑と吐き気。桃に対する作家の態度としての吐き気の先で、桃子はあの痛快な少女小説の主人公となるのではないか?などと想像してみる。