2023年7月2日日曜日

『金井美恵子全短篇Ⅱ』メモ

Ⅱには必然的に『単語集』が組み込まれている。波及する言葉、引き起こされた小説。〈夢の中で、自分の今までの人生のすべてが、行為や自分の考えるあらゆる言葉が、すべてにどこかに書かれてあることをなぞっている、ということを発見する。このことは百科事典ほどもある大部の書物に書いてあるのだった。〉〈記憶しているあらゆる出来事が、その本のなかに、末尾の項目別索引付きできちんとまとめられ、出典を示す記号が付されていた。非常な好奇心と恐怖をもっとその本を読みはじめるが、実はその瞬間、今、その本を書きつつあるのが自分自身であることに気づく。〉枝分かれする水の中で無数となるわたし。「境界線」はそれこそ只中だ。横たわりつつ感じ尽くすべき渦中。〈それから、あの溺死体。それから語り得ないものの内部で屈折した光線の形づくる、曖昧な沈黙の意志によって何回も何回も繰り返し言葉を失う声。出発するだけで、わたしはどこにも到着したいとは願っていないのだ。決してどこにもー。〉〈瞬間ごとに変わる名前で、瞬間ごとに変化する生きて獣のように動いている言葉で、わたしはこの水死体を呼ぶことになるだろう。彼女は世界と等しい数の言葉で呼ばれるだろう。〉…波及する言葉によって世界が繰り返し、無数に引き起こされて行くそのはじまりの、まだ未分化の瞬間に立ち会うような。 

「花嫁たち」を読むことのスリリングさ。エピグラフを含め。ここが深部であると感じる。書くものの手に、言葉と直面するものの、まさに今、言葉と直面する、それを書こうとするものの手に、限りなく近づく、限りなくそこに迫り、それを生きる体験であると感じる。その慄きごと。書く手の直面する言葉というものを感じること。言葉そのものを感じること。肉体をもって。官能をもって。触れること。交わること。聴くこと。溶け合うこと。〈溺れかかる過剰な水の夢など見はしない。むしろ、ひっそりと熟成する水蜜桃の夢に似た眠り。〉…世界を触知するための肉体としての言葉。夢の水の中で輪郭を失い、やがて無数と化して行く〈わたし〉という触知する肉体。書かれた無数の言葉によって小説は引き起される。連鎖反応のように。波及する言葉。呼び水たる言葉。引き起された小説と、無数の〈わたし〉、無数と化すそれら。

「調理場芝居」まで行くと、〈私は小説を書きはじめた頃から、長い長い一つづきの小説を書きつぐ途次のなかで、いつでも書きつづけてきたのである。〉という金井美恵子の言葉が、読むことの内より浮かび上がって来る。 最後には「既視の街」が。様々な匂い、臭気、饐えたような、甘美な、不快な、揮発性の。熱気、息遣い、声、物音、或いは沈黙、汚れと埃、よどみ、沈殿している、空気。湿気とねばつき、あらゆる粘度の水。雨、靄。かたまりのような、黒く、灰色の。或いは光、光沢。虹。濃密にたちのぼり、滞るそれら。出鱈目に複雑に増やされて行くように。それでいて閉ざされているように。都度新たにかき加えられて行く線と訂正の印。錯綜する、入り組んで行く。あの内部。或いは都市。建設と破壊。不定形の建物、無数の折れ曲がりを持つ路地、唐突に現れる入り口と空白。起伏、幾重もの層。《土地》そのものの地形と〈今ではもう見分け難く密着した建造物が、別の地形をつくり出している都市〉…。既視感。決して同一ではない。繰り返されて行きながら、それは決して同一ではなく、ずれて行く。〈わたし〉が複数の、無数の、〈わたしたち〉によって、共有されているかのように。ずれて行く。浸透し合うように。〈夢もなにもない、眼ざめた後では覚えていない夢さえもない眠り〉へ、〈永遠の現在に生きている哺乳動物の夢のような夢さえもない眠り〉へ落ちて行くこと。けれどきっと、〈わたし〉にそのような眠りは訪れないだろう。語ることを命じられている以上。魅惑されている以上。それが決して辿り着き得ない、常に見失い続ける類のものである以上。(…これが桃ちゃんまで行くと、グウグウ、グウグウ、十六時間も眠ってたくさんの夢を見ても、〈ここでは、あたしは自分の見た夢について書いてみる気は全然ないわけよ。〉と言ってしまう。)「既視の街」に限らず金井美恵子の〈わたし〉の語りは複数の〈わたし〉が奪い合うものではなく、複数の、無数の〈わたしたち〉が共有し合うものだ。互いに溶け合い、混ざり合い、浸透し合う無数で唯一の〈わたし〉が。 

 出来得る限り享楽的に読む。やっぱり「桃の園」が自分には一つの境目であるように感じられた。「桃の園」までに書かれた小説を含み、「桃の園」以後に書かれる小説を含み、ここから波及して行くように、枝分かれして行くように思える。桃、〈孤独な夢の水蜜桃のように〉…〈「ある春の日に、ピンクの花を咲かせた黄桃の実のなかに、甘い蜜が湧いて、熟して、したたるように」して〉書き始められた小説。そのようにして言葉は、小説は書き始められ続けるのだということ。