2023年7月2日日曜日

ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』

いびつなまま積み重ねられてしまい、頑迷なものと化した現実に、付け入る隙のない〈フィクション〉を以って相対する…。語られることの多くが真実であり過ぎるし、〈フィクション〉を介してそれを生きさせるヴァージニア・ウルフの言葉は緻密で強い。長く膨大な時間の内で、軽んじられ、黙殺されて来たものたちの存在を可視化し、その過酷な〈現実〉を読む者(聴く者)にまさしく真実として生きさせようとする時に、ウルフが〈フィクション〉という形を用いたのは、彼女自身が読むことの中から書くことをはじめた作家という存在である以上、必然的なことであるように思われる。書くときに、書くことに挑もうとするときに、その行為に伴う困難のすべてに向き合おうとするときに、必要なもの。言葉は、手は、書くことの方へ。それは間違いなく作家の言葉と手なのであり、ヴァージニア・ウルフが作家であるということを、作家と呼ぶほかのない存在であるということを強く感じる。いずれにせよすべては読むことの中からはじまっているのだ。過去の抑圧の過酷さや怒りや悲しみの痕跡も、或いは解き放たれて行くであろうという兆しも、可能性も、読むことの中で、それを書く手にこそ近づいて行くことの中でのみ、見つけることが出来る。 
しかし引用されている言説の多くの、何と馬鹿げていることだろう。硬直し、行き詰まっている。固く、滞っている。ヴァージニア・ウルフの言葉はそんな醜悪なものでは(当然)ない。書物同士が影響し合うことを理解し、或いは書くことの中で実践し、充実している。柔軟に、より豊かな方へ、絶えず向かって行く。自分にはもっとヴァージニア・ウルフを読むことが必要だと思う。ヴァージニア・ウルフの、硬直したり、凝り固まってしまうこととは無縁の、緻密で、絶えず流れの内にある言葉こそが必要だ。