何度読んでも楽しい。上巻にはしばしば泰淳や、娘の花さんが記したものも登場して、他の巻にはない賑やかさがあるように思う(百合子さんの日記の合間に、娘さんの書いたものを発見した時の微笑ましさと言ったら…)。百合子さんは天真爛漫で、パワフルで、たくましくて、物事を見つめる心と、それを表す言葉の間に余計なものがなくて、いつだって清々しい。百合子さんを諭しつつ、子どものように王様っぷりを発揮する泰淳の姿もまた、『富士日記』の魅力の一つ。
『遊覧日記』
何と素敵な物見遊山記録。見たまま、映ったまま、覚えたまま、それらをそのまま記して面白いと言うことは、そもそもまず、その感性が優れているのだと思う。両の目も、嗅覚も、みな鋭敏。そして、余分な飾りを持たぬ素面の言葉は、感覚が捉えた物事の姿を限りなく忠実に再現し、その感性の豊穣さを際立たせる。色も形も匂いも、汚さも汚れも、懐かしいも悪臭も、当然そのままを。ベタベタと相手に触れぬ他者との距離感はちょうどよく、娘であるHさんとのやり取りは特に、可笑しくて堪らない。その終わりを寂しいと感じるほどに、楽しいひと時であった。