過ぎ去ったはずの時間でありながら、豊かに満ち続ける色、損なわれぬ温度、息遣いさえ聴こえてきそうな、生きた思いの遣り取り。須賀敦子のエッセイに対して感じるよさや楽しさ、好ましさは、その空間を濃密に作り上げるよう、緻密に、丹念に描き上げられた小説を読み進める際に感じる、それに似ている。
2015年6月19日金曜日
須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』
須賀敦子の中で最も好きな本。未だ生き続けているかのように、丹念に、色豊かに描かれる情景が、筆者の心そのものを形作る、何よりも大切なものであるように感じられる。集い、とどまり、やがて途切れてしまう、仲間たちとの時間。異なる思いを抱えた者同士を繋いでいた、書店という、愛しき場。今はもう、いなくなってしまった人たち。今はもう、失ってしまったものたち。今一度息を吹き込むよう、言葉にすることで、正確さではなく、その身に残るものをこそ、丹念に磨き、言葉にすることで、柔らかに浮かび上がるそれら。記憶となり、流れ行く時を離れ、胸の内にてのみ、生き続けていたために、その色もまた、褪せることなくきらめき続けている。未だ耳を温かに震わせる声音、それぞれを結びつけ、今へと繋ぐ思い、切実であるが故に生じた軋轢の奥深さ…楽しさ、かけがえのなさ、鮮やかに蘇り行く情景。だが、抱き締めていたいと心が捉えるのは、別れへと向かう、終わりの静けさと、重厚な余韻に満ちる、寂寥の淡い哀しみ。象らずとも滲む、哀しみの色彩こそ愛おしいと、自ずから心が緩やかに広げて行く。快い夢の中でさえ、在るべき現の姿を感じ続けているような。いずれ醒める夢と、不穏な予感に戸惑う瞬間さえ、優しくなぞるような。それは別離を知る今に在るからこそ滲む、哀しみなのではないか。
過ぎ去ったはずの時間でありながら、豊かに満ち続ける色、損なわれぬ温度、息遣いさえ聴こえてきそうな、生きた思いの遣り取り。須賀敦子のエッセイに対して感じるよさや楽しさ、好ましさは、その空間を濃密に作り上げるよう、緻密に、丹念に描き上げられた小説を読み進める際に感じる、それに似ている。
過ぎ去ったはずの時間でありながら、豊かに満ち続ける色、損なわれぬ温度、息遣いさえ聴こえてきそうな、生きた思いの遣り取り。須賀敦子のエッセイに対して感じるよさや楽しさ、好ましさは、その空間を濃密に作り上げるよう、緻密に、丹念に描き上げられた小説を読み進める際に感じる、それに似ている。