2015年6月10日水曜日

高橋たか子『誘惑者』

生を見遣る瞳の冷酷さ。心には闇が、陰惨に鼓動し続ける闇が、尽きることなく、広がっている。自らにさえ把握し得ぬ心の胎動、内より溢れ、不意に迫り来る闇は、自らにさえわかり得ぬ、己自身。未知なる自分に、律し得ぬ自らに、心侵され、覆い尽くされて行く、恐ろしさ。生は、自らのものでありながら、自らにはどうすることも出来ない闇に、闇がもたらす恐怖に、晒され、ただ怯え続けるだけのものに過ぎないと、彼女は言う。
死に寄り添う瞳の安らかさ。抱き続けている憧憬、生よりも慕わしい、死。闇を恐れ、虚ろに漂うほかのない生よりも、むしろ、死に親しみ、慕わしいと寄り添う。繰り返し、他者を、自死へと導いた彼女、彼等は死を口にすることで、生きようとしていたものたち、だが、彼女が導く先は、切に思い続けた、真実の死。生に寄り添いながら、死に縋るものたちを、追い詰め、生々しく、甘やかな死へと、惨たらしく、誘って行く。
未知の彼女を暴く、死者の言葉。他のなにものとも交わることのない痛み、孤独で在り続ける心の、哀しく、残酷な様相。帯びた憂い、秘めた魔の危うげな美しさ。重く、閉塞に淀む空気を、克明に、生を這い進むものたちの愚かしさを、冷徹に。綿密に描き上げられた、豊穣な精神世界。その苦しみ、惨さに触れる快さ、闇を運び、押し寄せる波は暗く、だが、飲み込まれる瞬間に奔るのは、鈍い痛みを伴う、凄絶な悦び。



誘惑者 (講談社文芸文庫)
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高橋 たか子
講談社
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