2017年2月11日土曜日

いくどめかの矢川澄子『兎とよばれた女』の記録

彼女が言葉にしなかったもの。昇華し切れなかったもの。醜い部分。汚穢の部分。陰翳の部分。奥底にしまい込んだそれ等。いつか見える事があるかもしれないと、執拗に読み続けているのだけれど。今度もだめだった。滲み出てしまう事を抑え込むような懸命さを確かに感じるのに。

自身の幸せを物語っているのであり。自身の性を物語っているのであり。それが自身の幸せであると、性であると、信じる為に物語っているようであり。自分がどこまで言葉にする事が出来るのか、探り当てる為に物語っているようであり。そのすべてであるように思う。
黙する為に彼女は物語を必要としたのではないか、とさえ思う。秘する為にこの物語を記したのではないか、とさえ思う。それは自分の見たいものはずっと見えないと言う事だ。それはずっと読み続けるほかないと言う事だ。