ごちゃごちゃと溜まり、驚く程複雑に出来上がった人間の心の、その手の付けようのなさを思い知る度。或いは身体の不可思議さ…動き、脈打ち、循環し、変化する人間の身体の不可思議さを目の当たりにする事で。時に持ち主の手には負えぬ変わり方や動きをする身体と言うものの不可思議さに気付く事で。
称揚する訳でもなく、貶める訳でもなく、村田喜代子はいつも、ただ人の生き死にが果てしなく不可思議であり、雑多である事を教えてくれる。そうやって村田喜代子はいつも、人の生き死にまつわる甘っちょろくて生温くて随分と都合のよい幻想の数々を気持ちよく剥がしてくれる。村田喜代子によって剥がされた後の生き死にの姿の方が自分はよっぽど好きだ。おっかなくても図太くても不気味でも不恰好でも不都合でも、自分はよっぽど好きだ。
抜きん出てごちゃついていて、かつ自身の内部のその雑多さなど意にも介さず、ごちゃついた自身のまま生きて行ける人間が自分は怖い。村田喜代子の小説にも沢山いる。それがいい怖さである時も、よくない怖さである時もあるのだけれど。兎に角怖い。どちらの場合でも結局自分は敵わないと思う。