2019年4月6日土曜日

金井美恵子『岸辺のない海』

堪らない。息が詰まりそうになる。囚われる。彷徨い続けると言う至福。書く事。書き続ける事。書き始める事。今再び。繰り返し。その不可能性。終わりのなさ。果てのなさ。迷宮めいている事。悪夢めいている事。触れれば触れるほどに、わからなくなって行く。明瞭さを、確かさを失って行く。踏み出せば踏み出すほどに、遠ざかって行く。広がり、深まって行き、見失ってしまう。孤独で不毛で、恐ろしく困難な試み。際限のない、試みであり、欲望。熱っぽくて、憂鬱で、重苦しい。思い詰めていて、執拗で、妄執じみている。その際限のない事。そうするのだろう、そうしてしまうのだろう、と言う事。そうするよりほかないのだ、と言う事。その逡巡と停滞と、確信の。快不快。痛み。あまりにも濃く、重く、厚く、鮮やかで、鋭くて、たまらない。永遠に彷徨う。
その試みと欲望の。書き続け、試み続け、語り続ける彼の。無数の彼の。無数で唯一のぼくの。ありゆる快さと不快さと痛み。硬く、柔らかく、鮮やかで、濁った。艶やかで、官能的で、醜い。汚くて、美しくて、不必要で、必要で、過剰な。ありふれていて、陳腐で、単純で、無意味で、切実な。唐突で、不可解で、当然の。汚穢や塵芥、煌めき、腐敗や倦怠、苦しみや充足と言った、無数の。空白や欠落や欠如、死や衰弱、予感や嫌悪や躊躇いや、眠りと言った、すべてを含む。あらゆる感覚。あらゆる色。あらゆる音。あらゆる感触。あらゆる物。あらゆる物質。あらゆる光景。あらゆる現象。あらゆる名。あらゆる動作。あらゆる行為。あらゆる決意。あらゆる試行錯誤。あらゆる瞬間。あらゆる時刻。あらゆるきみ。あらゆる彼女。あらゆる女。ぼくであり、私である、無数で唯一の彼等の。あらゆる記憶。あらゆる物語。
不在であると言う事。不在であり続けると言う事。見失い続けると言う事。繰り返しであると言う事。試み続けると言う事。不毛で、困難で、終わりのない、果てのない試みと欲望。気が遠くなる。めまいがし、疲弊し、倒れ込んでしまいそうになる。沈み込んでしまいそうになる。永く、重く、苦しい。永遠に続くのではないかとさえ思う。

その言葉を、その小説を読むために生きているのだと思える。決して終わる事のないそれを。果てしなく続き、尽きる事なく続き、終わる事のないそれを。決してし終えてしまう事のないそれを。無数に存在し、唯一の、ぼくであり、きみであり、私である、彼等のそれを。いつまでも読み続けると言う至福。いつまでも読み続ける事が出来ると言う至福。


岸辺のない海 (河出文庫)
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金井 美恵子
河出書房新社
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