2018年1月19日金曜日

笙野頼子『硝子生命論』の記録、再び

硝子生命、死体人形と言う概念の繊細さ、切実さ、絶妙さ。それは現実を生きる為の、壊れてしまわぬ為の、怒りを、憎しみを、嫌悪を、失望を、違和感を、どうでもよい事にする為の、まともさを保ち続ける為の、どこまでも小市民であるが故に、逸脱する事も、正常さを失う事も出来ずにいる自分達が、外界と関わり続ける為の。
擬似恋愛。ごっこ遊び。人形との。死んでいる彼との。現実のおぞましさを、理不尽さを、そこで受けた苦痛を、吸収させ、バランスを取る為の。ごっこ遊びであったはずのもの。旧世界においては。けれど世界は変容する。新世界へと移行する。かつてのごっこは本物と化す。国家と化す。逸脱した事によって。殺した事によって。堪え切れず、抑え切れず、当然の如く、変容を希求した事によって。
あの神話的な混濁。よく思い出す。重苦しさと共に、期待感と共に、不安と共に。あの神話、新しい世界の白さ、あの白光。よく思い出す。快さと共に、力強さと共に、僅かな逡巡と共に。救いとして、兆しとして。抑止力として。よく思い出す。『硝子生命論』を。自分もまた求めると思うから。必要とすると思うから。自分もまた逸脱は出来ず、募らせ続け、滞らせ続け、やがて本物の到来を望むようになると思うから。後ろ暗くても、失っても、そちら側に行くと思うから。やはり笙野頼子なしではもう生きていけないと思う。



硝子生命論
硝子生命論
posted with amazlet at 18.01.19
笙野 頼子
河出書房新社
売り上げランキング: 498,047