2019年9月7日土曜日

小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』

とても気持ちのよい文章。小沼丹の文章を読む、この気持ちのよさ…。何とも言い切り難く、掴み尽くせず、けれど何か、長閑で、いいなあ、と思う。なんとなくそうであった事、なんとなくそうなってしまっていた事。ふと、始まり、ふと、終わってしまう。可笑しさも、苦さも、寂しさも、楽しさも、ふうわりと、漂う。
いずれも、今はもう、どこにもない類のよさであるし、あったとしても、非常に見つけ難い類のものであるように思う。ここだけ、違う。気持ちのよさが違う。速さや正確さと言うしがらみを失い、ぼんやりと、何かを捉える訳でもなく、あたりを眺め、寄り道をしながら、手探りのまま、歩く事にも似た。楽しさであり、気持ちのよさ。
庭の事、木々、草花の事、小鳥たち、文鳥や四十雀や雀や山鳩や目白や鵯や鶸の事。或いは人、友の事。今はもういない、いなくなってしまった人達の事。眺め、思い出す光景や交流の。どこまでも澄明で、清涼で、長閑で、心地のよい事。嬉しさも、楽しさも、苦さも、寂しさも、淡く、穏やかに立ち上って来て、味わい深い余韻となる。
妙に残っている事。あれは何だったのだろうかと、未だ不思議に思うような。或いは、ふと思い浮かんでは来たものの、何故そんな事を覚えているのか、まるでわからないような事。特別気にしていた訳でもないのに、何故か覚えている、と言うような。別に解き明かす風でもなく、こだわる風でもなく、そのわからなさごと、曖昧さごと、思い出す。その些細さごと、面白さごと、言い難さごと、思い出す。不思議で、緩やかで、ひどく好ましい。

小沼丹の文章は本当にいい。鷹揚で悠々としていて、話題も交流も長閑で風雅で、気持ちよく読める。ふと始まり、ふうわりと漂い、滋味豊かな余韻を残して、ふと消え行くかのような終わり方もいい。可笑しさも、寂しさも、親しさも、不思議さも、淡く緩やかに立ち上って来て、けれど、だからこそ、いつまでも残る。



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小沼 丹
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