2019年10月6日日曜日

佐藤亜紀『雲雀』再読の記録

存分に楽しみ、満たされたけれども僅かに寂しい。行ってしまった。飛び去ってしまった。遠ざかってしまった事を強く感じる。眩く、綺麗で、名残惜しい。すっかり馴染んでしまっていた為に。その感覚を、その生を、その感覚を以って、戦い、生き抜き、見ていた世界を、ずっと目の当たりにし続けて来た為に。
細かで、繊細な感覚の快さ。囀り。羽ばたき。率直で、ごく自然な自信に満ちた、動き、気配、存在感。小さく、柔らかで、くすぐったいような。或いは幸福や充足と言った感覚の甘やかさ。穏やかで、温かで、新しく、輝かしく、存外な程に、強い。ほかの何もかもが、色褪せてしまうような。とどまる理由を失った彼は、当然、飛び立って行く。
世界が、彼の見る、彼の感じる世界が、明らかに変わって行く。それまでにない類の、快さが増えて行く。細かく、繊細で、穏やかで、柔らかな類の。まるで取り戻すかのように、貪欲に増やして行く。何ともくすぐったい事。それらを物語る言葉のまた、強靭で、端正で、美しい事。飛び立つ事の必然さを思う。
ジェルジュのバランスのよさよ。別の人間の感覚を以ってその姿を見て、改めて思う。より複雑に悲惨に、泥沼化して行く世界の中、危ういのだけれども、安心する。好感を抱いている。親しみさえ感じている。よく知っているが故に。感覚での交渉を補完するように用いる言葉、会話の威力。それだけで十二分に通じると言わんばかりに短く、数少ないその。会話と応酬のスマートさ。感覚を補完する。それで完全に埋まる、と言った感じ。そして「花嫁」が好き過ぎる…。佐藤亜紀は本当に心憎い…。


雲雀 (文春文庫)
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佐藤 亜紀
文藝春秋
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