〈あたかも一つの水源から流れ出した細い川が谷間の激しい渓となって岩を嚙み泡立ちながらしぶき、いく筋もに分岐し、氾濫し、呑みつくし、やがて海にと流れ込むような河性の語りによって書かれた小説〉〈岡本かの子は生れたての言葉の生命の過剰な暴力をねじ伏せるようにして、書きつづける作家だ。〉…これらの言葉、〈かの子の方へと川を下って行かなければならない〉と、自らもその水の中に、書くという行為の水流の只中に全身を浸すようにしてかの子へと近づく金井美恵子の言葉によって、接近する。岡本かの子の方へと、自分は限りなく接近する。その水源、あふれ出る、今まさにあふれ出そうとしている瞬間の、そしてそれをつかみとる手の、何一つこぼさぬよう、余すところなく書き尽くそうとする手の、激しさと情熱の方へ。そのしぶきと奔流の只中へ、自分は金井美恵子の言葉によって達する。〈言葉を手づかみにしたかの子の高揚した歓喜〉、岡本かの子にとっての書くということ、つかみとり、全身をもって書くことを選び取りつづける、その創造行為の瞬間と過程に立ち会うこと、ほとばしる豊饒な光輝を目の当たりにすること。金井美恵子の言葉によって、それはようやく可能となる。岡本かの子という人物の生と結び付いて語られる思想や信仰の言葉を超えて、そちらにではなく、言葉と直面する作家の、今まさに言葉をつかみとりねじ伏せ書き尽くそうとするかの子の手の方にこそ近付く、金井美恵子の言葉によって。
〈まさしく、岡本かの子の言葉は〈自然の観照〉の中から生れ、その夥しい水のようにあふれる言葉を一つもあまさず書きつくそうとすることの言いようのないもどかしさ、生れたての言葉の生命の暴力的な躍動と無垢な繊細さのすべてを、身体の遊泳する空間の光の粒子の一粒までもを、あまさずに書きつくそうとする無謀なそれ自体が暴力的な願望によって書かれている。〉 …いつも圧倒される。岡本かの子を語る金井美恵子の言葉。金井美恵子の言葉が自分を岡本かの子の近くへと連れて行く。最も近くへ。奔流の只中へ。かの子の高揚と歓喜の中へ。つかみとる手と水しぶきと降り注ぐ光のすぐそばへ。〈仏教〉や〈生命信仰〉を介してではなく、言葉に直面する作家の手へと直に。金井美恵子の言葉によってのみ、到達し得る。