或いは自著について。自己解剖すること。如何にして書いたか。書くことを語ることはそのまま、読むことを語ること、夥しい読書体験と、読むことを含む、見聞きしたさまざまな光景や情報や言葉の混ざり合う、自らの記憶を語ることだ。如何にして魅惑されて来たか。魅惑されるよりも以前の、もっと原初的な体験を語ること。自らの内に埋もれているものを今一度探り出すこと。子ども時分から〈読むというよりは食うぐらいの早さでこなした〉たくさんの本や、週刊誌や新聞の記事が、自らの内で、どのような残り方をしていてどのような連想を引き出すのかを、その明瞭さと不明瞭さごと語ることだ。そしてそれらは絶えず増え続けるものでもあって。書くことを語る言葉もまた新しく、絶えず豊かに深まり続けるものであることを思い知らされ、圧倒される。
金井美恵子が大岡昇平の文章から学んだことの多さ、学ぶべきことの重要さについて書いていたことを、実感しつつ思い出す。『重箱のすみ』にて〈その「絶えざる現在を生きること」で、それこそ重箱の隅を決して見落とすことなく批評として書きつづけた大岡昇平への感嘆〉を語っていたこと…。