2022年11月12日土曜日

金井美恵子「森のメリュジーヌ」雑感メモ

〈ぼくは魅惑しつくされた者の持つ燃える眼でしか彼女を見ることはなかった。〉…あらゆる光、無数の意味に充ち、世界そのものであるかのような無際限さを秘する彼女。愛すること、深い深い密着の中で、探ること、一つ一つ発見して行くこと。知り尽くしたいと言う欲望によって〈ぼく〉は罰せられるのだ。その欲望によって、彼は彼女を見失う。彼は愛を、夜を、夢を、死を、世界を見失う。魅惑は彼に、書く指を一本ずつ燃やして行くことを強いる。自らの燃える指を唯一の光源として、常闇の森をさ迷うよう、いばらを踏みぬいてズタズタに裂けた血まみれの足で歩き続けるよう、強いるのだ。ことばさえ失い、〈あの人を見出すための眼〉にのみなること。彼が死を、夢を、永遠の夜を抱きしめたとき、言葉は世界を覆い尽くすような豪雨と化して激しく降り注ぐ。
 無邪気は常に罰せられてしまう。それが森茉莉でもない限り。魅惑しつくされた者が、自らを魅惑するもののすべてを知りつくしたいと欲望することの傲慢な無邪気さ。けれどこの無邪気さによってこそ、書くことは可能になるのかもしれないのに。書きつくしたいと、傲慢にもそう欲望することによってこそ、書き続けることが出来るのかもしれないのに。〈書くための霊感を与えるもの、あるいは書くことを唆すものが同時に、書くことに対して罰を与えるものであるという、この不思議な双面のミューズ〉…魅惑しつくされた者の見る悪夢、決して逃れえぬその官能と痛み。