少女小説は"おとぎ話"ではないのだと言うことと、作中においてどれだけ"規格外"であることや逸脱していることの痛快さがあったとしても、結末においてはその時代時代の常識や慣習がどうしたって反映されざるを得ないと言うか、結末がそれらを超えて行くことなどそうあることではないのだと言うこと。最良はあくまでもその時代時代に選び得る限りでの最良であると言うこと。そうなるとまあ、そう言った慣習や常識に回収されて行くことのない、と言うか、慣習も常識も遵守する必要のまったくない、それらを含む少女小説の型なり決まりなりを軽やかに巧妙にズラしたりハズしたりして行く少女小説、少女小説を読んで育った体験を持つ作家が、そうした読書への〈おかえし〉として書いた少女小説を読みたくなる訳です。
〈男子の凡庸な成長譚に堕して〉しまわない、コリンに物語を乗っ取られることのない『秘密の花園』いい。しかし『あしながおじさん』の結末なぞ自分も舌打ち派であるし、だいぶおぞましい構造と思うけれど、いわば〈自分ひとりの部屋〉で書くことによって深められていったジュディの思索をこそ今は読みたい。