2022年12月31日土曜日

金井美恵子『たのしい暮しの断片 シロかクロか、どちらにしてもトラ柄ではない』

出来ることならば、自分は金井姉妹の本の中で、金井美恵子の言葉の中で、生きて行きたいと思う。自分は出来得る限りその本の中に、金井美恵子の文章の中にいたいのだ。例えば〈毛糸屋兼手芸・洋裁用品の〉店内を、そこにある品々を思い出す言葉の中で、〈フランス刺繍やスウェーデン刺繍や日本刺繍の艶々と輝くサテンのような糸〉や〈バイヤス・テープや手芸用のフェルト、ミシン糸、糸巻きのボール紙にきちんと巻かれたボタン・ホール用の穴糸、絹や木綿のかがり用糸〉といった品々の中で。自らにとっての〈一番心地良い場所〉を語る言葉の中で、〈何度も読みかえしている好きな本の好きな部分をまた読みかえしながらそのまま眠りにつく寸前〉、実際には〈もうとっくに死んでいる〉トラーちゃんの寝息がかすかに聞こえていて、〈充分に満足しきっていて、今日以前のことも明日以後のことも念頭に浮かびもしない、この、今の充実だけ、という至福の状態〉、〈現実にあるとは思えないからこそ思い浮かべる〉まさしく〈心地よい場所〉であるそこで。〈ジャムを煮ていると家中に満たされる豊潤さとさわやかさと砂糖の甘い香りの混りあった、いわばあたたかいシロップの混った透明なイチゴ色の香り〉の中、〈子供の頃の滅多に食べられない大変な御馳走の一つだったアップルパイ〉や〈炭火で焼いたトースト・パンにバターをたっぷり塗り、ガラスのビンに入ったコハク色の透明なハチミツを載せた〉〈あたたかな蜜とバターと小麦の混った甘美なご馳走〉の、その〈至福の味〉の中で。〈店に並んでいたり、小さないくつもの引き出しの中の、白いボール紙製の箱の中に整然と入っていたスナップやホックや針、革製や金属の指ぬき、小さないくつもの糸切り用のはさみ、造花作り用のコテ、花の茎を作るための緑色のテープを巻く芯の針金……。〉〈いくらでも品々を思い出してしまう。〉という言葉通り、品々はするすると、別の品を引き出しながら、次々と浮かんで来るのだし、書き手はまるで思い出し終えてしまうことを惜しむかのように、思い出し続ける。思い出すということ…。〈ふと思い出した幻の幼年時代の蜜の味が、記憶していたというより、思い出すことで加味された様々な花の香りやハチの口中にあるという酵素よりも強力な、言葉による思い込みで変化していることを考えると、幾分かがっかりすることを、怖れるからかもしれない。〉そのようにして、溶け合うようにして記憶を容易に、柔らかに変容させてしまう、言葉というものの豊かさと強さと膨大さの中で。或いは〈一枚の布の展がり〉の、親密さと果てしなさのめまいの中で。自分は生きて行きたいのだ、と思う。いささか幼稚な願望であることは承知しているのだけれども。

 けだし、化猫の話である。それも善良で、頭のよい。シロちゃんのことである。〈猫が持つという九つの命の十回目を生きている〉のであろうシロちゃん。永いおわかれ、〈長い時間の中のごく一部を、顔見知り同士として共有したものへの別れのあいさつ〉のこと。〈一瞬一瞬の現在を生きる動物である猫と、人間の記憶はまったく別のシステムを持っているに違いないのだが、撫でる側の人間の手のひらと撫でられる側のしなやかな猫の身体の表面とは、それぞれの個体を通りこして共通の感触の記憶を持っているに違いないと思う。〉…これまでに読んで来た猫たち、金井姉妹の言葉と絵によって、親密に、色豊かに、書かれ、描かれて来た猫たちの姿、その柔らかさや温かさやしなやかさ、動きの俊敏さや佇まい、充足した眠りや声やにおいや息づかいといったものたちのことまで思い出され、重曹的な幸福を感じる。