2023年7月2日日曜日

金井美恵子『岸辺のない海』メモ

〈ところで、わたしにとっての夢の本といえば、この不可能な不在の彼との手紙のやりとりであって、不在の彼が、実はわたし自身であるという、わたしにとっての逆説なんかでない真実にしか、わたしの夢と書くことへの願望はないのである。〉〈夢の本の意味するのは、真の意味での書く理由の欠如であり、わたしの書けなさのすべてなのだから。夢の本は、海だけでおおわれた惑星のように、岸辺のない海のように、ただ巨大な球形の空虚な海として、不可能な海として、不在であり、そして存在する。〉…夢から海へ。思い出すべき言葉。
 語りの不可能性。書くことの不可能性。〈彼〉は不可能なことにばかり挑もうとし、不可能さの内にのみ在り続けようとし、不可能性の只中にのみその身体を置こうとする。不可能なことに挑み続けることの、不可能さの内に在り続けることの、不可能性の只中に身体を置き続けることの、肉体的な感覚。行為する肉体がある以上、それは肉体と切り離すことは出来ないのだ。書くという行為のその、肉体の受けるその、苦痛と官能のすべて。魅惑された、呪縛された肉体の受ける罰と快楽。〈眠りへの逃走。身体の休息に対する渇望。身体の幻想。苦痛。〉罰せられるべきものであるということ。やがて復讐されるのであろうという予感。怯えとためらい。見放されている。恩寵のない生。円環ではないのだということ。繰り返しでありながら、それはむしろ無数性であって、波及するものだ。分身であり、鏡としての少女。〈ぼくは常に書きつつあるものだ。ぼくは永遠に書きつつあるものの中にとどまり、書きつつあることの盲目の中にとどまるだろう。そして、きみは何回も何回も繰り返し、ぼくの前にあらわれる。〉書かれたもの、たくさんの、無数の言葉。〈記憶の暗闇の中で息づく灰色の感光性のリボン状のフィルムに焼きつけられた風景。〉〈ぼく〉は作家以外の、なにものでもない。作家でしか、在り得ないのだ。世界と自らの関係を開示していく手、情熱に支配されたその手の性急さによってこそ、彼は罰せられる。眠りへの欲望、休息への、夢のない眠りへの。書くという行為の中にひそむ恥ずべきもの、その存在を自覚した瞬間から、作家は恩寵から見放されてしまう。〈自分の書いた言葉に彼は復讐されようとしていた。〉〈繰り返し繰り返しはじめられる、書くことのはじまりの迷路の中へ彼は追放される。またもや、はじまりはやって来るだろう。そしてまた彼は、おびただしく書かれたものの群れの中にとじこめられる。〉〈永遠に欠如した永遠に完成することのない小説〉…無数にして唯一の、唯一にして無数の彼、作家以外のなにものでもない、書きつづけるほかのない、終わりのないはじまりの中で、生き続けるほかのない〈ぼく〉…補遺はさらに無数性を増している。さらに無数性の中へ。柔らかに溶けていってしまっている。老いによって?蓄積によって?書かれたものの膨大さによって?より波及して行く。無際限の呼び水。

 はじまりの密度と緊張感が小説を貫いていることに、小説が絶えずその密度と緊張感を保ち続けていることに、そしてそれを書き始め、書き続ける作家の手というものに、いつも慄いてしまう。リボン状の言葉。…このような、『岸辺のない海』のような夢の本、作家の書けなさそのものであるかのような、それでもなおその不可能性の只中にあり続ける、幾度となく書くことのはじまりへと立ち戻り、繰り返し書き続けるという作家の運命そのものであるかのような、夢の本を読むということ。どうすればよいのか、ずっと考えている。読むこと、兎にも角にも、結局のところ、読み続けるほかないように思われる。魅惑されてしまっている以上。繊細に、敏感に、生きるようにして。それこそ繰り返し、ずっと、幾度となく。金井美恵子の本だけが自分を読むことの方へと魅惑し、立ち戻らせる。この夢の本は、作家の書けなさや書きつづけるほかのない作家の運命を暗示しているとか、象徴しているとか、そういったことではなく、この小説、この本それ自体がまさしく、作家の書けなさそのものであり、書くことの不可能性の内にとどまり続ける作家の運命そのものであって、だからこそ夢の本なのだ。

 〈上手に語ることと、上手に語ることにまつわる本質的な疑いの複数の記憶の差異との間に、どのような折りあいを見つけるか、あるいは見つけそこなうか。〉見つけそこない続けること、〈見つけそこないつづける不可能な可能性のあやうさを生きること〉…それに気づいた上で、自覚した上で、未だそのようにして生き続けている(書き続けている)のが補遺であろうし、『柔らかい土をふんで、』なのだろうと思いもする。 〈ぼくは奇妙なことに、作家以外の人間がこの世に生きているなんて、考えたこともなかったんだぜ。この意味がわかるかい?ぼくは何一つ知らないで、ただ書くということしか考えなかった。〉…書く肉体としての〈ぼく〉、書きはじめることの不可能性と無邪気な傲岸さの只中を生きる作家の肉体としての。