今まで平然と、揺るぎない安堵を以って踏みしめていたそこ。じわじと確実に広がり行く汚れに、傷みに、気付いた瞬間の、茫洋とした哀しみと怒り。不明瞭なまま、あえて見据えぬよう、遠ざけ続けてきたそれら。病により、より鋭さを増した感性に接することで、近付き、触れてしまったことで、今を生きていることへの、この先を生きて行くことへの、怖さのようなものが、自らの心の奥底でひっそりと蠢き始めたような、不気味な脈動を感じる。
それは不快で、不安で、堪らなく恐ろしい。いっそこのまま図々しく、見て見ぬふりを続けて行きたいと、卑劣にも、愚かしくも思ってしまう。だが、目を閉じても黒々と浮かぶそれらが消えることはなく、確かにある不都合な痛みに気付いてしまった心はもう、その疼きを見過ごしてしまうことを許してはくれない。
村田 喜代子
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