2015年6月3日水曜日

倉橋由美子『アマノン国往還記』

人間=女。本来対になるべき性の不在、男という性の不在により、性を持つことで生じる摩擦や衝動、性を自覚することで湧き上がる、異性への様々な感情とは無縁の、性的にニュートラルな存在と化した女たちが住まう国、アマノン。宣教師Pを待ち受けるのは、その皮肉めいた暗示が心憎い仕掛けの数々。徹底した女権社会に潜む幼稚性。言葉遣い、公用語が辿った退化のような進化。人々が遵守し続ける珍妙な因習。男と女、二つの性を要する営みに支配された人間界の不条理を、惨たらしいほど鮮やかに、軽やかに皮肉る仕掛けたち。子宮内的世界に散りばめられた仕掛けの一つ一つが、馴染み深い世界の姿を、その滑稽さ、その因業さを、心の奥底から抉るように、思い起こさせる。
ただ一人、Pだけが成し遂げた、女人国家という巨大な卵の内部への到達。入国時の描写はそのまま受精を、卵を目指す精子の動きを現しているかのよう。子宮内的世界の視察。そして試みる革命。性の優劣を、生殖の在りようを、自らの世界の常識に基づく、本来の姿へと戻すため、或いは身勝手な欲求を満たすため、Pは無性化した女たちの理解し得ぬ自らの性を武器とし、壮大な革命を試みる。アマノンの体制を覆す危険性を秘めたそれを、男に与えられた女という性を、行き詰まった現状を打破する新しい刺激物として受け入れ、嬉しそうに誇る、女たちの可笑しくも恐ろしい稚拙さ。自ら気ままさを隠そうともしないPも含め、覚えた肉欲の悦びに溺れる様は、悲しくなるほどに愚かしい。革命が導く結末は何とも救いのないもの。Pはいわば、卵に辿り着くことが出来た、唯一の精子。唯一の異物として、アマノンの人間たちを作り変えたことで、女たちが彼を受け入れたことで、かの計画は失敗したのだ。
抜け出せぬ不条理の輪。性と生殖の在り方、その不明瞭さを指摘され、今まで当然のように抱いていたものの形を嘲笑うかのように、ひどく曖昧な、ひどくちぐはぐなものへと変えられてしまう不安と心地よさ。まるで素敵な悪夢を見ていたかのよう。



アマノン国往還記
アマノン国往還記
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倉橋 由美子
新潮社
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