2015年6月3日水曜日

津島佑子『笑いオオカミ』

その少年の目に映る現実の世界は、戦争によって何もかもが壊れたままの、凄惨なもの。浅ましく醜いサル達の住処、冷たい寝床。眩い別の世界を目指し、少年は自らとは違う、だがよく似た痛みを知る少女を誘い、旅に出る。
アケーラとして、或いはレミとして、少年が少女に求めたものは、自らの蔑むサル達とは違う、人間の男女として結ぶものとは違う、互いの性と、種さえも超越した、誇り高い繋がり。少女がモーグリとして、或いはカピとして在り続けることで実現する繋がり、ひとつの血の仲間。少女が少年の接近を許した理由の一つに、年上の異性に対する憧憬、恐れの入り混じった憧れがあったとしても、旅の途中、少女の胸中に生まれた感情は、少年が求めた連帯感そのもの。少年が目指し、懸命に守り続けようとした関係。彼等の無謀さ、幼さ、すべて描かれていてもなお、微笑ましいと感じる。
旅は楽しく、彼等が他者の目に映る自分達の姿を、自分達がそう在ろうと決めたそれではなく、単なる少年と少女、頼りなく、幼い二人の姿でしかないことを知っているからこそ、より愛おしく、この時間がいつまでも続くことを願わずにはいられない。だが現実の残酷さは、旅路に潜む、不穏な陰となり、どこまでもつきまとう。戦争が生み落とした闇、陰鬱と崩れた心が呼ぶ、多くの悲劇。二人の遭遇する事件の数々は、それらを象徴するもの。目指す世界は見えず、目にするのは、矛盾と苦しみに満ちた、捨て去るべき現実だけ。
結末に訪れる別離は、引き裂かれる彼等にとってさえ、予期していたものに過ぎない。心をよぎる暗い予感を誤魔化し、旅を終わらせまいと足掻く心の切実さ。二人は聡く、旅路が終わることはわかっていた。それでも当然、悲しみはぬぐい切れない。大切な繋がりを離れ、冷たく懐かしい、それぞれの生きるべき現実へと帰って行く二人の姿が、夢が覚めたかのような終わりの、ひどく生々しい呆気なさが、決して逃れることが出来ない現実の重さ、息苦しさが、断ち切り難い余韻となり、心を静かに、満たして行く。



笑いオオカミ
笑いオオカミ
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津島 佑子
新潮社
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