2015年6月8日月曜日

高樹のぶ子『水脈』『トモスイ』

『水脈』
水は激しく、また緩やかに、流れ、溢れ、或いは、静かに、密やかに、潤い、満ちる。すべてのものを受け入れ、そこに漂い続けることを許す優しさ。すべてを遮り、すべてのものを覆い尽くす厳しさ。柔らかく穏やかに、硬くしたたかに、様々に変化する表情。水は自らに寄り添う人間たちの、その巡り続ける命の輝きを、その情愛より生み落とされる哀しみを、その濃密な魂の交わりを、甘やかに妖しく、また官能的に彩る。平素は触れる瞬間でさえ、気にもとめずにいるような、生々しい身近さを持ったものたちによって、不意に煽られる熱。水が誘う幻想世界への、艶やかな期待。たっぷりと水分を含んだ言葉の、澄んだ響き。語られる情景の穏やかさ、濡れて光る悦びの煌めきに、心は満たされ、ゆっくりと潤って行く。

『トモスイ』
手付かずのまま残る荒涼さえ、自らの謎めいた魅力を高める幻影と化す世界の中で、密やかにその生の輝きを放つ女性たちが愛おしい。空間いっぱいに立ち込める甘やかな香り、微熱を誘う官能の芳香が、強く色濃い悦びへの陶酔を誘う。境目を失った両の性。あやふやな性が溶け合い、肉体も、快楽も、何もかもが溶け合い、一つに混じり合う瞬間の、自らの肉体を縛る、そのすべてが意味を失う瞬間の、快さ。それは至福の、この世のものとは思えないほどに、甘美なるひと時。

高樹のぶ子の近年の小説、特に短編には、官能的に生きるものたち、自らの生を、官能的に彩るものたち(それは人間という狭い枠組みの中におさまるものではなく、動物も、植物も、生あるものすべて、思いの宿るものすべて)に対する、愛情、共感、憧憬、畏怖…そこに生じ、抱くすべてを含んだ、淡く、穏やかな優しさがあるように思う。そしてその儚くも柔らかな空間において得られるのは、人間の営む性愛から得られるものよりも深い、より鮮やかで、より濃厚な官能の悦び。例えば関係の背徳性が恋に激しさや危うい美しさを付与する類の、ありきたりな恋愛小説にとどまらず、男と女、両の性の間に生まれるすべてのものたちの矮小さを越えた、より純度の高い官能を追い続ける視界の広さ、己が身も、己が身に宿る性さえも意味を失う、恐ろしいほどに甘美な瞬間を描き出す発想の豊潤さにこそ、高樹のぶ子という作家の魅力を感じる。



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